島田城 | 織田信秀の妹を娶った牧長義の出城




島田城 | 織田信秀の妹を娶った牧長義の出城

 

 

名古屋市天白区の島田城は、斯波高径が築き、後に織田信秀の妹を娶った牧長義の出城といわれています。

 

 

 

 

 

歴史

 

詳しい築城年代は不明ですが、室町幕府成立の頃、室町幕府の権力者で、尾張・遠江・越前の三国の守護であり、また菅領家であった斯波高径が、鎌倉街道を押さえる要所としてこの地に築城を命じたといわれています。

 

 

また【尾張志】によると、島田城の規模は東西約76m、南北約182mくらいだったとか。

 

 

【張州府志】には、『地元では城主は牧虎蔵である』と記載されています。

 

 

この牧虎蔵は、川村北城(名古屋市守山区)の牧長義の一族。

 

 

長義が織田信秀の妹を娶り小林城に居城して、その出城として島田城を修築して、母方の一族である牧虎蔵に守らせたといわれてます。

 

 

牧氏に関してはこのくらいしか分かっておらず、あと、江戸時代になっても牧氏一族はこの地に住み続け、現代でも島田城周辺には子孫の方でしょうか、牧姓のお家がチラホラあります。

 

 

 

 

 

感想

 


かつての島田城は、現在の天白区島田5丁目付近にあったそうです。

 

 

現在では閑静な住宅地となっている中に、島田城の土塁の一部があり、名古屋市教育委員会の看板も建っています。

 

 

この土塁には登る事ができ、中にはお社が祀ってありました。

 

 

地元の人によれば、このお社は、牧神社というのだそうです。

 

 

私の感想ですが、島田城跡は土塁だけでも遺構が残っている事はスゴイと思いました。

 

 

なぜならば、この周辺は開発が特に進んでおり、住宅地が多いからです。

 

 

他の天白区のお城跡をみればわかりますが、土塁の一部でも残っているのは島田城くらいなので、できればこの遺構もこれからも残してほしいですね。

 

 

・所在地  天白区島田5丁目

 

・立地  平城

 

・築城時期  ?

 

・築城者  牧虎蔵

 

・主な城主  牧氏

 

・現状  牧神社

 

地図


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