瀬戸市




瀬戸市記事一覧

瀬戸市の詳細不明のお城まとめ

かつての尾張国である、愛知県瀬戸市の詳細不明のお城跡をまとめてみました!赤津城現在の瀬戸市小空町周辺にあったお城で、天正時代の『古城主覚記』に熊沢藤三郎居城(愛知郡誌では熊野伝三郎)とあり、その他の詳細は一切不明のお城。南山城城主は山田伊豆守重継と伝わります。承久の乱(1221)で有名を馳せた山田重...

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秦川城 | 安藤将監景照の家臣・尾関弥右衛門が城代を務めたお城

愛知県瀬戸市の秦川城は、安藤将監景照の家臣・尾関弥右衛門が城代を務めたお城です。歴史当時この周辺は、美濃可児郡(現・多治見市)池田城主・安藤将監景照の領地で、その家臣である、尾関弥右衛門を城代として居城させていました。尾関氏はもともと室町時代からこの地に住む豪族で、天正十二年(1584)の長久手合戦...

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入尾城 | 平安時代に築かれた平良兼の子孫・滝口景貞のお城

愛知県瀬戸市の入尾城は、平安時代に築かれた平良兼の子孫・滝口景貞のお城といわれています。歴史別名・松原城ともいわれる入尾城の築城は、大治四年(1129)頃といわれ、瀬戸市で最も古いお城といわれています。築城主の滝口景貞は平良兼の子孫といわれ、この事から平景貞ともいいますが、この地に移ってからの滝口氏...

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水野城 | 南北朝時代に水野高康、有高親子が居城し後に磯村左近が居城

愛知県日瀬戸市にあった水野城は、南北朝時代に水野高康、有高親子が居城し、後の戦国時代には織田信長の家臣・磯村左近が居城したお城です。歴史南北朝時代、南朝方として活躍し、尾張旭市の新居集落を開いた水野良春の一族である水野高康・有高親子が居城したと伝わります。別名・シンド山城、水野城、五万石城、城ヶ嶺城...

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落合城 | 戸田宗忠が築き織田信長によって落城したお城

愛知県瀬戸市にあった落合城は、戸田宗忠が築き織田信長によって落城したお城です。歴史元中年間(1384〜1392)に品野城(瀬戸市)の戸田氏が落合城を築き、移り住んだと伝わります。その後、城主は長江氏、桜木氏、と代わり、永禄頃までには再び戸田氏が城主になっています。しかし再び戸田氏が城主になった永禄年...

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桑下城 | 美濃からやって来た長江氏が築いた庭園付きのお城

愛知県瀬戸市の桑下城は、美濃からやって来た長江氏が築いたお城です。歴史戦国時代の始まりともいわれる応仁元年(1467)に起こった応仁の乱は、全国の守護や守護代を東西二分にして戦いが行われました。この時、美濃国安八郡今須城にいた長江氏は、東軍の細川氏に属しましたが、西軍に属した土岐斎藤氏に敗れ、尾張国...

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品野城 | 大金重高が築き松平と織田で争奪戦!そして信長が落としたお城

愛知県瀬戸市の品野城は、大金重高が築き松平と織田で争奪戦になったお城です。歴史承久の乱で活躍した大金重高によって、健保年間(1213〜19)に築城された古いお城です。大金氏、戸田氏、坂井氏と城主が変わり坂井氏の時に、戦国時代を迎えました。第一次品野台合戦当時、尾張の織田氏と今川氏傘下の三河の松平氏の...

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山崎城 | 品野城主・松平家次に対抗する為、織田方が築いたお城

愛知県瀬戸市の山崎城は、かつて品野城主・松平家次(桜井松平当主)に対抗する為、織田方が築いたお城です。歴史城主は竹村長方という武将で、山崎城城を拠点にして品野城を昼夜に渡り攻め立てましたが、落とすことが出来ず、逆に豪雨の夜に品野城の松平家次より奇襲を受けて、竹村長方をはじめ50余人が討ち死にしました...

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片草城 | 品野城主・坂井秀忠の一族の坂井十郎の居城

愛知県瀬戸市の片草(かたくさ)城は、品野城主だった坂井秀忠の一族・坂井十郎の居城です。歴史織田信秀の家臣・坂井秀忠が品野城主だった頃、三河の松平清康に品野城は攻められ、城主・坂井秀忠は亡くなり、品野城も落ちましたが坂井秀忠の一族が片草村に逃げ延びました。(第一次品野台合戦)後にその一族の坂井十郎が、...

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阿弥陀ヶ峰城 | 長江利景が松原広長との戦いに備え築いたお城

愛知県瀬戸市の阿弥陀ヶ峰城は、応仁の乱後、長江利景が松原広長との戦いに備え築いたお城です。歴史戦国時代の幕開けとなった応仁の乱。その余波は全国を覆い各地で守護や守護代、そして有力者が西軍、東軍を名乗り戦が起こりました。文明十四年(1482)この地方でも、もともと仲の悪かった桑下城主・長江利景(東軍細...

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瀬戸城 | 織田信長に仕えた加藤光泰の居城

愛知県瀬戸市の瀬戸城は、織田信長に仕えた加藤光泰(みつやす)の居城といわれています。歴史光泰は織田信長に仕え、信長が家督を継いだばかりの頃に起きた兄弟ゲンカ・稲生ヶ原の合戦では信長方として参戦。敗走してきた信行方の今村城主・林吉之丞と狩宿城主・林信勝らを迎え討ちしています。その後、秀吉の配下となり、...

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馬ヶ城 | 長久手合戦の時、岩崎城で戦った加藤忠景の居城

愛知県瀬戸市の馬ヶ城(うまがじょう)は、長久手合戦の時、岩崎城で戦った加藤忠景の居城です。歴史鎌倉時代から代々続く加藤氏のお城です。加藤氏はこの地域に勢力を持っていた豪族でしたが、弘治二年(1556)の織田信長による品野攻略で現在の長久手市に逃れます。馬ヶ城はこの時廃城。後に現在の長久手市に移り、そ...

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今村城 | 長江利景と戦い、この地の松原氏の祖となった松原広長の居城

愛知県瀬戸市の今村城は、長江利景と戦い、この地の松原氏の祖となった松原広長の居城跡です。歴史今村城主の松原氏は、下総守と称し、碧海郡の今村城(現在の愛知県安城市今村町)に住んでいた豪族です。後に尾張国山田庄の飽津村(赤津村)に移り、寛正年間(1460〜66)、広長の代に瀬戸今村城を築きました。【尾張...

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御戸偈城 | 今村城の松原氏ゆかりのお城

愛知県瀬戸市にあった御戸偈城(おとげじょう)は、今村城の松原氏ゆかりのお城といわれています。歴史瀬戸市のお城の中でも謎が多い御戸偈城ですが、一説によると今村城の松原広長の父祖が住んだ城といわれています。戦国時代前期、この周辺も松原氏の勢力圏だった様で、関連するお城があっても不思議ではないですね。また...

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菱野城 | 清和源氏の一族・山田重貞が築いたお城

愛知県瀬戸市の菱野城は、清和源氏の一族・山田重貞が築いたお城です。歴史菱野城の築城は古く、平安時代末期の承歴三年(1079)頃といわれています。美濃国郡上にあった清和源氏の一族である山田氏が、青野ヶ原の戦いに敗れて各地に散った時、山田重貞がこの地にやってきて、菱野城を築きました。その後の鎌倉時代は、...

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本地城 | 今村城の松原氏の一族・松原平内のお城

愛知県瀬戸市の本地城(ほんじじょう)は、戦国時代にこの地に勢力を持っていた、今村城の松原氏の一族・松原平内のお城跡です。歴史本地城の城主・松原平内は、今村城の松原広長の叔父にあたる人物で、広長と共に長江氏との戦いで亡くなりました。本地城はその後、廃城になりました。感想お城は現在石碑が建っている場所で...

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大津城 | 後宇多天皇の末孫といわれる大津氏の居城

愛知県瀬戸市の大津城は、後宇多天皇の末孫といわれる大津氏の居城です。歴史大津城は瀬戸市のお城の中でも謎が多いお城です。築城は大津氏によるものという事は間違いないみたいですが、その大津氏がどこから来たのか?またどういった一族なのかも詳細不明です。一説には大津(滋賀県大津市)の奉行・大津八郎左衛門が弘治...

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塔山城 | 森河氏が築き、甲斐の武田氏の偵察地になったお城

愛知県瀬戸市の塔山城は、森河下総守が築き、戦国時代に甲斐の武田氏の偵察地になったお城です。歴史塔山城主は、森河下総守岩政と伝わりますが、この人がいつの時代の人なのか分かっていません。有力なのは、鎌倉時代の人物、または大化の改新の功労者である、藤原鎌足(ふじわらのかまたり)の近親という説です。素性はよ...

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水野陣屋 | 江戸時代中期の陣屋で初代代官は水野正恭

愛知県瀬戸市にあった水野陣屋は、江戸時代中期の陣屋で初代代官は水野正恭が務めました。歴史尾張九代・宗睦の時代に藩政の改革があり、天明元年(1781)に、この地に陣屋が設けられました。初代代官には、すでに御林方奉行職で、この地の名門・水野正恭が任命され、周辺の春日井・愛知両郡・美濃国の一部109村、計...

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