刈谷市




刈谷市記事一覧

刈谷古城は緒川城主・水野貞守が文明初めごろに築いた刈谷城の前身のお城

刈谷市の刈谷古城跡は緒川城主・水野貞守が文明初めごろに築いた刈谷城の前身のお城です。歴史知多半島(尾張)に勢力を持っていた水野氏は、対岸の三河に侵出します。そのために当時海だった現在の衣浦湾を渡り築城しました。これが刈谷古城です。刈谷古城については詳細がよく分かっておらず、文明十七年(1485)の禅...

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刈谷城は戦国時代の水野氏の居城で江戸時代には刈谷藩の拠点となったお城

刈谷市の刈谷城は、戦国時代の水野氏の三河地方における居城で江戸時代には刈谷藩の拠点となったお城です。歴史近世の地誌類には、刈谷城は天文二年(1533)に水野氏が築いたとされています。天文十年(1541)、城主の水野忠政は岡崎の松平氏と同盟を結び、娘の於大を松平広忠に嫁がせていましたが、二年後に忠政は...

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丸山城 | 酒井与右衛門の居城で得川有氏、親氏親子も訪れたお城

かつての三河国である刈谷市の丸山城跡は、酒井与右衛門の居城で得河有氏、親氏親子も訪れたといわれているお城です。別名・境城、人夫城。歴史碧海郡史によれば、酒井与右衛門が住し、永享十二年(1440)に得川有親が子の親氏と共に関東から逃れてきて、この地に入ったとか。この得川有氏、親氏親子というのが後に松平...

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会下城 | 三河一向一揆に参加した矢田作十郎のお城

かつての三河国である、刈谷市の会下(えげ)城跡は、三河一向一揆に参加した矢田作十郎のお城跡です。※会下の読みは えげ歴史会下城の城主は矢田作十郎助吉という武将だった事が分かっています。彼は松平元康(後の徳川家康)に仕えていましたが、永禄七年(1564)の三河一向一揆では本多正信や夏目吉信と共に一揆勢...

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野田城 | 野田八幡宮周辺に勢力を持っていた稲垣氏のお城

刈谷市の野田城跡は、戦国時代に野田八幡宮周辺に勢力を持っていた稲垣氏のお城といわれています。歴史刈谷市の野田城の詳細はよく分かっていません。愛知の城(山田征之著・サンマーク)によると、明治時代の野田村の文章に『字西屋敷一一七〜一五九番地にあったとされ、土塁・堀などの形が残っており、里人はこの堀を大堀...

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半城土城 | この地の土豪・野田太郎左衛門尉清氏と稲垣雅楽助の居城

刈谷市の半城土城跡は、かつてのこの地の土豪・野田太郎左衛門尉清氏と稲垣雅楽助(うたのすけ)の居城です。※雅楽助の読みは、うたのすけ歴史半城土城の城主についての記録は残っておらず、どんな人物だったのかという詳細は分かっていません。ただ気になる事があり、私の感想ですが、城主のひとりである稲垣雅楽助は、同...

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刈谷市小垣江町に残る3つのお城跡!それが須賀城、新生城、地内城

かつての三河国だった愛知県刈谷市小垣江町には3つのお城跡が残っています。それが須賀城、新生城、地内城です。この記事ではそれら3つのお城跡の歴史と現地レビュー、そして私の感想を書いてみました。小垣江須賀城刈谷市小垣江町須賀に残るお城跡で、城主は神谷与七朗、または神谷与八郎という土豪でした。その他の詳細...

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重原陣屋 | 明治二年にでき四年に廃藩となった福島藩の陣屋跡

刈谷市の重原陣屋跡は、明治二年にでき四年に廃藩となった福島藩の陣屋跡です。歴史江戸時代、この周辺はここは刈谷藩の領地でしたが、寛政二年(1790)に起こった百姓一揆により、刈谷藩は村換えの処分となり、次にこの地に入ったのが福島藩でした。その後福島藩は戊辰戦争の時、奥羽列藩同盟に加わり、領地は没収。し...

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