碧南市・高浜市




碧南市・高浜市記事一覧

碧南市の三河大浜城と羽城そして江戸時代の大浜陣屋は同じ場所?

かつての三河国である碧南市には、三河大浜城、羽城、そして江戸時代の大浜陣屋があったといわれていますが、これらは同じ場所ではないかという指摘があります。この記事では2つの城と1つの陣屋の歴史、そして現地レビューと私の感想を書いてみました。大浜城まず歴史に出てくるのがこの大浜城です。別名・大浜古城とも。...

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長田屋敷 | 織田信長の初陣の相手だったと伝わる長田重元の屋敷跡

かつての三河国だった碧南市の長田屋敷は、戦国時代にこの地に勢力を持っていた長田重元の屋敷跡です。歴史駿河出身で平家の流れをくむ長田平右衛門尉重元が、大浜城跡を改修して羽城主になったと伝わります。築城年はよく分かっていませんが、信長公記に織田信長の初陣で、三河の吉良・大浜に出陣したと記載がある事から、...

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棚尾城 | 建久年間にこの地の地頭だった熊谷若狭守直氏の屋敷跡

かつての三河国だった碧南市の棚尾城は、かつてこの地の地頭だった熊谷若狭守直氏の屋敷跡と伝わる場所です。別名・棚尾古屋敷。歴史碧南市史によると建久年間(1190〜98)、熊谷若狭守直氏が地頭として棚尾に住むとの記述があります。また、明治期に作成された棚尾屯地図には、字上屋敷に若狭守古屋敷の注記がありま...

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鷲塚城 | 水野信元の弟で於大の方の兄である水野忠重の居城

かつての三河国だった碧南市の鷲塚城跡は、水野信元の弟で於大の方の兄である水野忠重の居城跡です。という事は、水野勝成の父の居城ということでもありますね。歴史水野忠重は、はじめ兄・信元と共に尾張の織田信長に属し、永禄元年(1558)に起った尾張緒川・石瀬合戦や永禄三年(1560)の刈屋十八丁畷の合戦で戦...

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西端陣屋 | 天明三年にできた西尾城主・本多氏の分家の陣屋

かつての三河国だった碧南市の西端(にしはた)陣屋は、天明三年(1783)にできた西尾城主・本多氏の分家の陣屋です。歴史元和元年(1615)、西尾城主・本多康俊から分家した本多忠相が旗本となり、天明三年(1783)本多忠直の時に陣屋ができました。愛知県中世城館跡調査報告2西三河地区によると、元治元年(...

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現在の高浜市唯一の城址が神谷氏の高取古屋敷

かつての三河国だった愛知県高浜市の高取古屋敷は、この地に勢力をもっていたと思われる神谷氏の屋敷跡です。歴史神谷氏については記録が残っておらず、いつの時代でどんな人物だったのかという事もわかりませんでした。感想参河名所図絵に次の様な記載があります。高取村古屋敷、三国聞書集に言、神谷氏は碧海郡高取村より...

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