一宮市のお城一覧




一宮市記事一覧

一宮市の詳細不明のお城まとめ

一宮市,詳細,不明,お城,まとめ 愛知県一宮市内にあった詳細不明のお城跡をまとめてみました。二子砦屋敷一宮市萩原町萩原松田周辺にあったといわれる小牧・長久手合戦時の織田・徳川連合軍の砦跡。高福寺周辺に地元で『とりで屋敷』と呼ばれている場所があり、そこが二子砦屋敷跡ではないかといわれています。高木城一宮市萩原町高木味噌屋周辺にあったと...

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光明寺城 | 神戸伯耆守が築城し山田半兵衛が居城したお城

愛知県一宮市の光明寺城跡は、神戸伯耆守が築城し山田半兵衛も居城したお城址といわれます。歴史織田信長の家臣・神戸伯耆守が築城したお城です。地元の伝承によると、神戸伯耆守は城下の民を慈しみ、知勇兼備の武将といわれていました。永禄十二年(1569)の伊勢国(三重県)大河内城攻めで戦死、その後は信長の馬廻衆...

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大野城 | 大坂の陣で活躍した大野修理亮治長ゆかりのお城

愛知県一宮市にある大野城は、大坂の陣で活躍した大野治長の一族ゆかりの城といわれています。歴史【葉栗郡紀要】によると、大野伊賀守・大野佐渡守の居住との記録が残ります。城主の大野氏は、もともと京都の石清水八幡宮の神官といいます。大野伊賀守治定が弟の家督争いに敗れ、美濃に滞在していた時に織田信長に召し出さ...

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河田城 | 小牧長久手合戦で使用された羽柴方のお城

愛知県一宮市にある河田(こうだ)城跡は、小牧長久手合戦で使用された羽柴方のお城と伝わります。歴史天正十二年(1584)の小牧・長久手合戦時に羽柴方の城として利用されたお城です。資料によっては高田城との記載もあります。(一宮市史)城主はかつての美濃三人衆のひとり・稲葉一鉄と伝わりますが、一鉄はこの時7...

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奥城 | 織田信長、信雄、秀信に仕えた梶川高盛の居城

愛知県一宮市にある奥城跡は、 織田信長、信雄、秀信に仕えた梶川高盛の居城です。別名・江並城。歴史奥城の築城年代については不明ですが、一説によると楽田城主だった梶川高秀が織田信秀に仕え、奥村に移って奥城を築いたといわれます。信長公記によると、梶川高秀は永禄十一年(1568)十月、摂津池田城攻めの先陣を...

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馬寄城 | 織田信長に仕えた武藤弥平兵衛の居城

愛知県一宮市にある馬寄城跡は、織田信長に仕えた武藤弥平兵衛の居城と伝わります。歴史馬寄城の武藤弥平兵衛という人で、織田信長に仕えて各地を転戦、天正三年(1575)年に越前敦賀郡を拝領して移ったので馬寄城は廃城になりました。弥平兵衛は天正七年(1579)に亡くなり、遺領は息子の助十郎が継ぎました。その...

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宮後城 | 野府城の坪内一族のお城という説があるお城

愛知県一宮市の宮後城は、同じ一宮市の野府城の坪内一族のお城という説があるお城です。歴史築城年、城主ともよくわからない宮後城ですが、一説によると旧尾西市の野府城主・坪内又五郎一族の居城だったといわれています。その理由ですが、文亀三年(1503)に一宮四家のひとつ、佐分利氏が伯父の仇として、宮後城主・坪...

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一宮城 | 真清田神社の神官だった関一族の居城

愛知県一宮市の一宮城跡は、真清田神社の神官だった関一族の居城です。歴史一宮城は真清田神社の神官・関長重が社領を守る為に築いたといわれるお城で、関康正、長重、長安の三代の居城となりました。関氏は平重盛の子孫といわれ、伊勢国の北畠氏に仕えていた関正康・長重父子が、熱田神宮の大宮司の力を借りてこの地に移り...

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毛受城 | 苅安賀城の浅井一族の居城

愛知県一宮市の毛受城は、苅安賀城主の一族・浅井玄蕃の居城と伝わります。歴史毛受城の城主は、苅安賀城主・浅井新八郎政貞の弟(もしくは家老)の浅井玄蕃(げんば)という人物です。毛受城は苅安賀城の支城的役割の城で、北方を守る形に配備されていました。さて、政貞の跡を継いだ浅井田宮丸長時は、織田信雄に重用され...

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苅安賀城 | 織田信雄の家老だった浅井田宮丸長時の居城

愛知県一宮市の苅安賀城は、かつて織田信雄の家老だった浅井田宮丸長時の居城です。歴史苅安賀城は近江小谷城・浅井長政と同じ一族の浅井新八郎高政の築城といわれ、高政・長時(田宮丸)二代の居城と伝わります。高政は岩倉織田氏の家老・山内盛豊の従弟で、永禄二年(1559)の岩倉城落城時、盛豊の息子・一豊が縁を頼...

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萩原城 | 豊臣秀次の父・三好吉房の居城

愛知県一宮市の萩原城は、後に関白となる豊臣秀次の父・三好吉房の居城と伝わります。江戸時代には徳川義直の御茶屋御殿がこの周辺に建てられました。歴史萩原城の城主は、秀吉の姉婿・三次吉房(入道して三位法印一路)という人で、関白・豊臣秀次の実父です。この人の出自や素性には諸説があり、若い頃は弥助と名乗ってお...

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鵜飼民部屋敷 | 織田信長に仕えた鵜飼民部清重の屋敷跡

愛知県一宮市の鵜飼民部屋敷は、かつて織田信長に仕えた鵜飼民部清重の屋敷跡と伝わります。また高木城と同一の城とも。歴史城主の鵜飼民部清重は、織田信長の家臣といわれていますが、記録が少ない人物です。唯一の記録が永禄元年(1558)の浮野合戦です。浮野合戦は織田信長と岩倉織田氏が浮野(現在の愛知県一宮市千...

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東宮重城 | 織田信雄の家臣・酒井新左衛門が築城したお城

愛知県一宮市の東宮重城は、天正十二年(1584)年の小牧長久手合戦の時に織田信雄の家臣・酒井新左衛門が築城したお城といわれています。歴史織田信雄の家臣だった酒井新左衛門は、天正十二年(1584)年の小牧長久手合戦で羽柴秀吉に備える必要がありました。そこで美濃の加賀野井城と尾張の苅安賀城を結ぶ防衛線と...

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中島城 | 戦国時代以前に中島郡を支配した中島氏の居城跡

愛知県一宮市の中島城は、戦国時代以前に中島郡を支配した中島氏の居城跡と伝わります。歴史中島城の城主である中島氏は、嵯峨天皇の第十二王子・河原の左大臣源融(みなもと の とおる)の末裔といわれており、嵯峨源氏一族です。融(とおる)から数えて十三代目が中島左衛門尉宣長という人で、彼が尾張国にやってきて居...

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時之島城 | 城主は日根野頭形兜を考案した日根野弘就

愛知県一宮市の時之島城は、斎藤氏、織田氏、豊臣(羽柴)氏に仕えた日根野弘就(法印)の居城跡です。歴史城主の日根野弘就は、もともとは美濃の斎藤氏に仕えた武将でした。斎藤氏が滅ぶと、駿河の今川氏、近江の浅井氏、長島一向一揆と反織田勢力として各地を転戦していましたが、後に信長に望まれて織田家の家臣になりま...

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下奈良城 | 小牧長久手合戦で羽柴方の最前線になったお城のひとつ

愛知県一宮市の下奈良城は、天正十二年(1584)年の小牧長久手合戦で羽柴方の最前線になったお城のひとつです。歴史天正十二年(1584)年に起こった小牧長久手合戦時、羽柴秀吉が大坂から約30,000の軍勢を率いて楽田城に本陣を置いた時、この下奈良城を最右翼として小牧山城の織田・徳川連合軍と対峙しました...

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大赤見城 | 城主は戦国時代以前の織田弾正左衛門勝久、久長親子

愛知県一宮市の大赤見城は、戦国時代以前の織田弾正左衛門勝久、久長親子の居城跡と伝わります。歴史大赤見城は【尾張名所図】では、織田弾正左衛門勝久の居城として載っており、【尾張志】では織田興七郎の居城として記載されています。まず織田弾正左衛門勝久という人物は、信長より5代以前の人で、もし大赤見城が彼の築...

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浅野城 | 豊臣家五奉行筆頭の浅野長政の屋敷があった場所

愛知県一宮市の浅野城跡は、豊臣家五奉行筆頭の浅野長政の屋敷があった場所です。歴史浅野城の築城時期はハッキリと分かりませんが、浅野氏がこの地にやってきたのは建仁年間(1201〜03)で、浅野光時の代といわれます。時は流れて戦国時代、光時から数えて十五代・勝隆が織田信秀に仕え、その養子・長勝と長勝の娘婿...

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小山城 | 小牧長久手合戦時の織田・徳川連合軍の砦

愛知県一宮市の小山城跡は、小牧長久手合戦時の織田・徳川連合軍の砦といわれます。歴史天正十二年(1584)年の小牧・長久手合戦時、織田・徳川連合軍の砦として使用されたという小山城。ここで終われば小山砦として歴史に名を残すはずでしたが、そこでは終わらずにその後も歴史は続きます。合戦後、この地に居城した人...

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三ツ井重吉城 | 三井高久、尾藤源内重吉の居城

愛知県一宮市の三ツ井重吉城跡は、室町時代の尾張守護である斯波氏の家臣・三井高久の居城であり、後に岩倉城主・織田信安に仕えた尾藤源内重吉の居城ともいわれています。別名・尾藤城歴史もともとこの地には、室町時代の尾張守護・斯波氏に仕えた三井高久の三井城があったといわれています。後の大永年間(1521〜28...

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兼松屋敷 | 信長から足半をもらった兼松正吉の屋敷跡

愛知県一宮市の兼松屋敷は、戦国時代に織田信長に仕えた武将・兼松正吉の屋敷跡です。歴史兼松氏は、古くから現在の一宮市島村周辺に勢力を持っていた豪族でした。戦国時代の当主・又四郎正吉は、織田信長から足半(あしなか)をもらった有名な人物です。本能寺の変後は豊臣秀吉、徳川家康に仕え、子孫は尾張藩士になってい...

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長谷川屋敷 | 信長と秀吉に仕えた長谷川秀一の生誕地

愛知県一宮市の長谷川屋敷は、織田信長、豊臣秀吉に仕えた長谷川秀一の生誕地といわれている場所です。歴史秀一は信長の小姓を勤め、信長亡き後、秀吉に使え越前で十万石の領主となりました。その後、文禄三年(1594)朝鮮で病死したともいわれていますが、無事に帰国し伏見城の普請に携わったという説もあります。あと...

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野府城 | 織田信秀の五男で信長の弟・織田九朗信治の居城

愛知県一宮市(旧尾西市)の野府城跡は、 織田信秀の五男(七男とも)で信長の弟・織田九朗信治の居城といわれています。また資料によっては野夫城とも。歴史野府城の築城時期、築城者は不明ですが、明応年間(1492〜1500)には、すでにお城はあったといわれています。そう考えてみると、古いお城ですよね。野府城...

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吉藤城 | 織田信長の家臣・遠藤三郎衛門の居城

愛知県一宮市(旧尾西市)の吉藤城跡は、織田信長と信雄に仕えた武将・遠藤三郎衛門の居城といわれているお城です。歴史妙興寺文書によると、嘉吉三年(1443)にこの地で遠藤三郎宗次が開発代官を務めたという記述がある事から、この人が遠藤氏の先祖で、この頃からすでに遠藤氏はこの地に住んでいたと思われます。その...

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坪内城 | 勧進帳で有名な富樫左衛門尉の子孫・富樫氏の居城跡

愛知県一宮市(旧尾西市)の坪内城跡は戦国時代にこの地に勢力を持っていた坪内氏の居城です。歴史坪内城の始まりは古く、勧進帳で名高い安宅の関守で有名な富樫左衛門尉の子孫・富樫左衛門頼定が尾張にやってきたのが始まりといわれています。その後富樫氏はこの地で勢力を広げ犬山城主・織田信康に仕えます。この時に野府...

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黒田城 | 山内一豊の生誕地といわれるお城

愛知県一宮市(旧木曽川町)の黒田城は、戦国武将・山内一豊の生誕地といわれるお城跡です。歴史もともとこの地には、明応年間(1492〜1501)に後藤光秋が築いた屋敷があり、それが後の黒田城の原型になったといわれています。しかし別の説では、十五世紀末に相模国からやって来た五藤源太左衛門光正がこの地に館を...

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割田城 | 清和源氏の血を引く一族・開田氏の居城

愛知県一宮市(旧木曽川町)の割田城跡は、清和源氏の血を引く一族・開田氏の居城跡といわれています。歴史割田城に関しては謎が多く、戦国時代以前に清和天皇の血をひく開田氏が築いて居城したといわれています。【尾張名所図会】によれば、開田氏の古城址は外割田にあり、開田二郎国用、開田判官代国重らが住んだとありま...

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