稲沢市




 

 

稲沢市記事一覧

愛知県稲沢市の詳細不明のお城まとめ

愛知県,稲沢市,詳細不明,城,まとめ,一覧 愛知県稲沢市内にあった詳細不明のお城跡をまとめてみました。大矢城株式会社オリエンタル稲沢工場がある場所にあったお城。鎌倉時代初期に大矢中三安資が守護職として居城したと伝わります。一説によると後に織田信雄の家臣・滝川刑部小輔雄利も居城したと伝わりますが、詳細は明らかではありません。西島城祖父江五郎左衛...

≫続きを読む

 

竹腰城 | 関ヶ原合戦で福島正則に従い手柄を立てた祖父江大膳の居城

愛知県稲沢市の竹腰城跡は、 関ヶ原合戦で福島正則に従い手柄を立てた祖父江大膳亮秀治の居城です。、また城主は祖父江信勝とも。歴史竹腰(たけのこし)城の城主・祖父江氏は、代々津島神社の神官で、祖父江城を拠点としていました。竹腰城主といわれる祖父江だ以前も、もとは旧祖父江町の祖父江城にいましたが、関ヶ原の...

≫続きを読む

 

稲島城 | 国府宮の神官・久田弥四郎の居城

愛知県稲沢市の稲島城跡は、国府宮の神官・久田弥四郎の居城といわれているお城です。別名・久田屋敷歴史稲島城の築城年代は不明ですが、国府宮の神官・久田弥四郎の居城といわれています。この辺りは白鳳時代(645〜710)創建の尾張最古の東畑廃寺の跡地だそうです。分かっているのはそれくらいで、久田氏が戦国時代...

≫続きを読む

 

陸田城 | 織田信雄の家臣・陸田市左衛門の居城

愛知県稲沢市の陸田(くがた)城跡は、織田信雄の家臣・陸田市左衛門の居城といわれるお城です。歴史【尾張志】によると、城主の陸田市左衛門は、陸田城のほか同じ稲沢市内にある坂田城の城主でもあると記載されている事から、この地に勢力を持った豪族だったのでしょう。陸田氏は景行天皇の流れをくむ一族で、その影響でこ...

≫続きを読む

 

片原一色城 | 信長の鉄砲の師匠である橋本一巴の居城

愛知県稲沢市の片原一色(かたはらいっしき)城跡は、織田信長の鉄砲の師匠である橋本一巴の居城跡です。歴史片原一色城は、南朝譜代の臣である、橋本伊賀守の居城と伝わります。橋本氏は南北朝時代から八代、約百八十年間にわたり、この地に居城しました。橋本一族は、片原一色城以外にも、矢合城、井掘城、儀長城、三宅城...

≫続きを読む

 

中野城 | 尾張志に記載がある桜木与太郎の居城

愛知県稲沢市の中野城跡は、桜木与太郎の居城跡です。歴史【尾張志】によると、中野城の城主は桜木与太郎という人物と記載がありますが、具体的に何をしたのか?どういう人物だったという事はあまり分かっていません。ですがいくつか手がかりを知る事ができる話が残ってます。まずこの人は、織田信長の一族に繋がりがある人...

≫続きを読む

 

儀長城 | 信長の鉄砲の師範・橋本一巴の息子である橋本道一の居城

愛知県稲沢市の儀長城跡は、織田信長の鉄砲の師範(先生)だった橋本一巴の息子である橋本道一の居城跡です。歴史橋本道一は浮野合戦で亡くなった父の跡を継ぎ、橋本家の六代目として伊賀守を名乗りました。橋本道一は儀長城のほか、父の居城だった片原一色城主でもあり、織田信長、織田信雄に仕え、その後は豊臣秀吉・加藤...

≫続きを読む

 

矢合城 | 信長の鉄砲の師範・橋本一巴の息子である橋本大膳の居城

愛知県稲沢市の矢合(やわせ)城跡はこの地に勢力を持っていた橋本一族の橋本大膳の居城跡です。歴史城主の橋本大膳は、織田信長の鉄砲師範(先生)である、橋本一巴の息子で、儀長城主である橋本道一の弟でもあります。大膳は、もとは早尾東城(現・愛西市)に住んでいましたが、後にこの矢合に移って来たと伝わります。お...

≫続きを読む

 

松下城 | かつての尾張国府近くにあったお城

愛知県稲沢市の松下城は、かつて尾張国府のあったところに築かれたお城で、城主は織田敏広と伝わります。歴史松下城を築いたのは、織田敏広という人物で、この人は織田『伊勢守系』の当主で岩倉城を築いた人です。つまり織田信長の『大和守系』(弾正忠とも)と対立していた織田氏勢力のお城なのです。ちなみに国府(こう、...

≫続きを読む

 

吉田屋敷 | 尾張藩の鷹匠頭・吉田主水正家澄の屋敷跡

愛知県稲沢市の吉田屋敷は、尾張藩の鷹匠頭だった吉田主水正家澄の屋敷跡です。歴史名古屋に尾張藩が開かれた頃、尾張藩の鷹匠頭の吉田主水正家澄が、藩主である徳川義直より屋敷地として、現在の高御堂の地を与えられました。その後、家澄の一族もこの地にやってきて尾張藩に奉仕したそうです。感想かつての吉田屋敷があっ...

≫続きを読む

 

下津城 | かつての尾張国の守護代だった織田兵庫守敏広の居城

愛知県稲沢市の下津城跡は、かつての尾張国の守護代だった織田兵庫守敏広の居城跡です。歴史文正元年(1466)尾張守護の斯波氏の内紛(相続争い)が起こり、それに伴い尾張各地で戦乱が起こりました。その余波で下津城も襲われましたが、織田敏広は防戦して守り抜きます。そこまでは良かったのですが、翌年応仁の乱が勃...

≫続きを読む

 

大塚城 | 中島郡の郡主・長谷部民部大輔源政の居城

愛知県稲沢市の大塚城は、かつての中島郡の郡主・長谷部民部大輔源政の居城跡です。歴史江戸時代中期に書かれた性海寺由緒記によると、まず源頼朝に仕えた長谷部信蓮が戦功により能州(現在の石川県北部)一群と尾張中島郡を与えられました。その時、信蓮は大塚村の性海寺の近くに館を築き居城しており、これが大塚城の始ま...

≫続きを読む

 

長束屋敷 | 豊臣家五奉行の一人・長束正家の屋敷跡

愛知県稲沢市の長束屋敷は、豊臣家五奉行の一人で関ヶ原合戦にも出陣した長束正家の屋敷です。歴史長束正家は豊臣五奉行のひとりで、関ヶ原合戦にも出陣しているので知名度が高い人物なのですが、その生誕地にはいろんな説があります。そんな中、よくいわれている説は、長束氏はもとは水口氏といい、近江国水口城主でした。...

≫続きを読む

 

西溝口城 | 溝口秀勝の父・溝口勝政の居城で秀勝の生誕地

愛知県稲沢市の西溝口城跡は、新発田藩祖となった溝口秀勝の父・溝口勝政の居城です。また秀勝もこのお城で生まれたといいます。歴史溝口氏は源氏の流れをくむ一族で、先祖は『逸見氏』を名乗っていました。承久の乱で戦功があり、美濃国(現・岐阜県)大桑に領土をもらい、代々大桑に住んでいましたが、応永年間(1394...

≫続きを読む

 

坂田城 | 陸田城主でもあった陸田市左衛門の居城

愛知県稲沢市の坂田城跡は戦国時代、この地に勢力を持っていた豪族で陸田城主でもあった陸田市左衛門の居城です。歴史陸田市左衛門は織田信雄の家臣で、この地に勢力を持っていた豪族でした。この坂田城以外に陸田城も所有していたので、この辺りにかなりの影響力も持っていたのでしょう。坂田城では260貫文を知行してい...

≫続きを読む

 

奥田城 | 桶狭間合戦で鷲津砦を守った飯尾定宗の居城

愛知県稲沢市の奥田城は桶狭間合戦で鷲津砦を守った飯尾定宗の居城です。歴史奥田城の初代城主は、清洲城を築いた斯波義重の従弟である満種の子・持種という人物です。築城時期については清州城が築かれた応永年間(1394〜1427)頃だといわれていますので、戦国時代前のお城ということになりますね。その後、弘治年...

≫続きを読む

 

浅野屋敷 | 豊臣五奉行筆頭・浅野長政の養父・浅野長勝の屋敷跡

愛知県稲沢市の浅野屋敷は、豊臣五奉行筆頭・浅野長政の養父・浅野長勝の屋敷跡です。歴史浅野長勝は弓頭として織田信長に仕えていましたが、子がおらず、養子・養女をもらっています。しかしこの子達が後に歴史に名を残す有名人なのです。まず養女の『ねね』は、木下藤吉郎秀吉、後の羽柴秀吉に嫁ぎ、秀吉が関白就任後・『...

≫続きを読む

 

堀田屋敷 | 孝元天皇の流れをくむ堀田尾張守之高の屋敷跡

愛知県稲沢市の堀田屋敷は、孝元天皇の流れをくむ堀田尾張守之高の屋敷跡です。歴史戦国時代以前にこの地に勢力を持っていた堀田一族の屋敷跡です。また一族からは文武両道の武士が出ています。掘田氏は、孝元天皇の四代・武内宿称の後胤、堀田左衛門督行義の子が之高とされています。之高の息子・弥五郎之泰は興国四年(1...

≫続きを読む

 

増田屋敷 | 豊臣家五奉行のひとり増田長盛の生誕地

愛知県稲沢市の増田屋敷は、豊臣家五奉行のひとり増田長盛の生誕地といわれている屋敷跡です。歴史増田長盛の生誕地説は2つあり、ひとつはこの愛知県稲沢市説。もうひとつは、滋賀県長浜市益田町(かつての近江国浅井郡益田郷)です。増田長盛は秀吉に仕え、戦功により出世し、後に豊臣家五奉行として主に民政訴訟を担当、...

≫続きを読む

 

北島城 | 平経貞が築城し国府宮神社の神官久田氏も居城したお城

愛知県稲沢市の北島城は平経貞が築城し国府宮神社の神官久田氏も居城したお城です。歴史北島城は文保年間(1317〜19)に平経貞が築城し居城しました。この時、北島城の守護神としてお城の東北に弁財天を祭りましたが、これが現在に残る宗形神社です。東北という方角から鬼門除けの神社だったのでしょうね。さて、【尾...

≫続きを読む

 

祖父江城 | この地に勢力を持っていた祖父江氏の居城

愛知県稲沢市(旧祖父江町)の祖父江城は、この地に勢力を持っていた祖父江氏の居城で、後に横井氏が入城しました。歴史祖父江城の築城は文正元年(1466)頃と戦国時代以前で、祖父江久豊が築いたと伝わります。その後、祖父江氏はこの地に勢力を持っており、代々津島神社の神官でもありました。織田信秀、信長に仕えた...

≫続きを読む

 

山崎城 | 秀吉と家康に仕えた徳永秀昌の居城

愛知県稲沢市(旧祖父江町)の山崎城は、秀吉と家康に仕えた徳永秀昌の居城です。別名・徳永城歴史城主の徳永秀昌(寿昌:ながまさとも)は、近江出身で、戦国の頃に現在の稲沢市祖父江町山崎を領していました。はじめは柴田勝家の養子・勝豊に仕えましたが、勝豊が秀吉に降ると秀吉に仕え、賤ヶ岳の合戦にも参加。戦功で美...

≫続きを読む

 

坂井屋敷 | この地の土豪・坂井氏の屋敷跡

愛知県稲沢市(旧祖父江町)の坂井屋敷は、この地の土豪・坂井氏の屋敷跡です。歴史戦国時代にこの地に居住した土豪・坂井氏の屋敷跡です。初代・文助は、信長、信雄、秀吉に仕えて道中奉行を務め、二代目・利政は尾張藩主に仕えて船奉行となりました。知行は千石でした。しかし三代目・利知も船奉行となりましたが、事故を...

≫続きを読む

 

勝幡城 | 織田信定が築城し信秀、信長が生まれたお城

愛知県稲沢市(旧平和町)の勝幡城(しょばたじょう)跡は、織田信定が築城し信秀、信長も生まれたお城です。歴史勝幡城を築城したのは織田信定という人で、この人は信長の祖父です。信定の息子の信秀、つまり信長の父は、お父さんは、武勇の誉れ高く、今川氏豊の那古野城を攻めて奪取。更に末森城と古渡城を築きました。織...

≫続きを読む

 

三宅城 | この地に勢力を持っていた橋本氏一族の居城

愛知県稲沢市(旧平和町)の三宅城跡は、この地に勢力を持っていた橋本氏一族の居城跡です。歴史信長の鉄砲師範(先生)・橋本一巴を輩出した、橋本一族の居城のひとつ。橋本氏はもと南朝方の武将で、代々伊賀守を名乗り、片原一色城(稲沢市)を本拠にしていました。その本拠地を取り巻くように、井堀城・矢合城・儀長城・...

≫続きを読む

 


ホーム RSS購読 サイトマップ