鷲塚城 | 水野信元の弟で於大の方の兄である水野忠重の居城




鷲塚城 | 水野信元の弟で於大の方の兄である水野忠重の居城

 

 

かつての三河国だった碧南市の鷲塚城跡は、水野信元の弟で於大の方の兄である水野忠重の居城跡です。という事は、水野勝成の父の居城ということでもありますね。

 

 

 

 

 

歴史

 

水野忠重は、はじめ兄・信元と共に尾張の織田信長に属し、永禄元年(1558)に起った尾張緒川・石瀬合戦や永禄三年(1560)の刈屋十八丁畷の合戦で戦功を挙げました。

 

 

しかしその後に兄・信元と不和になり、今川家から独立した松平元康(徳川家康)に仕えます。この時に家康から鷲塚の地を与えられ、鷲塚城を築きました。

 

 

それが永禄五年(1562)。一説には徳川家康が鷲塚城を築き、忠重に与えたとも伝わります。

 

 

天正三年に兄・信元が、佐久間信盛の諫言により甲斐の武田氏との内通を疑われ最後を迎えることになり、水野家の本領・刈谷城は佐久間氏のものとなります。

 

 

しかし天正八年(1580)、佐久間信盛が織田家を追放されると、忠重は信長より刈谷城を与えられ城主になりますが、鷲塚城はこの時廃城となりました。

 

 

 

 

 

感想

 

かつての鷲塚城は、現在の尾城町2丁目にある尾城公園とその周辺です。公園の周辺は宅地開発が進み、お城の遺構は残っていません。

 

 

お城があった当時、この周辺は南へ突き出たふたつの半島状台地にあったそうで、水上交通の要所であった事が伺えますよね。

 

 

私の感想ですが、鷲塚城のポイントは2つあると思います。

 

 

まずひとつ目は、鷲塚城があった場所が、現在の尾城町(御城:おしろ)町という、お城ゆかりの地名が残っているという事。

 

 

ふたつ目は、現在愛知県刈谷市が顕彰している戦国武将・水野勝成の父である水野忠重ゆかりのお城であるという事です。

 

 

最近になって、水野勝成の知名度や人気が上がっていますが、勝成が反抗した父として忠重の知名度も少しずつ上がって来ている様に思えます。

 

 

その忠重が居城としていたのがこの鷲塚城なので、今後、案内看板等も建つとよいな〜と思っています。

 

 

所在地 碧南市尾城町2丁目

 

立地 平城

 

築城時期  永禄五年(1562)頃

 

築城者 水野藤十郎忠重

 

主な城主 水野氏

 

現状 尾城公園・宅地

 

地図


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