小牧山城 | 織田信長時代の石垣が残る山城




小牧山城 | 織田信長時代の石垣が残る山城

 

 

愛知県小牧市の小牧山城は、永禄三年(1560)の桶狭間の合戦後、織田信長が美濃国(現在の岐阜県)攻略の為に築いたお城。また天正十二年(1584)の小牧・長久手合戦では、織田信雄・徳川家康連合軍の本陣が置かれた場所でもあります。

 

 

 

 

 

歴史

 

桶狭間合戦後、岡崎城で今川氏から独立した松平元康(後の徳川家康)と同盟を結んだ織田信長は、小牧山城を拠点に小口城犬山城等の信長に従っていなかったお城を攻略、遂に永禄十年(1567)、斉藤龍興の居城・稲葉山城を落城させます。

 

 

そして稲葉山城の地名を『岐阜』と改め、移り住んだので、小牧山城は廃城となりました。

 

 

〜それから17年後の天正十二年(1584)〜

 

 

本能寺の変が起こり、信長亡き後、羽柴秀吉と徳川家康が争った小牧・長久手合戦時、徳川・織田連合軍が小牧山城に本陣を置きました。

 

 

秀吉は約5倍の兵力で楽田城に本陣を置き、連合軍と対峙しますが、小牧山城を落とす事はできません。

 

 

戦闘は小競り合いが続き、家康は蟹江・長久手の地方戦で勝利を収めていましたが、両軍の主力決戦には及びませんでした。

 

 

そして秀吉が家康に内緒で信雄と講和し、和議が成立。両軍撤退しその後は小牧山城は使われなくなりました。

 

 

 

 

 

 

感想

 

江戸時代には尾張徳川藩の直轄の管理地となった小牧山。一般人の入山は制限されました。

 

 

しかしそのため、お城跡の遺構は荒らされず、かなり良い保存状態で今日に残っています。

 

 

まずは南側に堀・土塁を初めとする遺構が残っているとの事でしたので、南側(アピタのある方)から城内へ、すると早速、みごとな堀・土塁たちが出迎えてくれました。

 

 

しばらく歩くと、内側の土塁、虎口が!さらに歩くと発掘調査時の研究結果が、至る所に展示してありました。

 

 

その昔は戦の舞台となり、ものすごい緊張感に包まれていたこの山も、今では休日ともなれば、家族連れやカップル、または犬の散歩にくる人や、軽い運動目的に訪れる人達の憩いの場になっています。

 

 

また小牧山城の西南方向には、土塁・堀切の遺構も残っていますので、草木があまり生い茂っていない時期に、訪れてみるのもよいかもしれません。

 

 

 

 

 


信長が小牧山城に拠点を移した時、家臣達も住まいを小牧山城に移しました。

 

 

小牧山城発掘調査の結果、家臣団の屋敷跡と思われる場所が出てきました。

 

 

その結果をもとに現在では、小牧山のふもとに家臣団の屋敷跡であろう区画が再現されています。

 

 

 

 

 


こちらは再現された堀。

 

 

堀を掘って、余った土で土塁を築いたということで、堀と土塁のセットの遺構。

 

 

 

 

 


こちらは井戸。

 

 

井戸も合戦には必須のもので、人間は米が無くても1週間くらい生き延びるそうですが、水が無いと数日も生きられないとか。

 

 

また水が無ければ、米があっても炊くこともできませんので、水の手は重要なのです。

 

 

 

 

 


虎口(こぐち)の遺構。

 

 

虎口とは、兵の出撃口です。

 

 

中からは出やすく、また外からは入りにくい様に屈折しており、横矢攻撃もできました。

 

 

 

 

 


ようやく登城口に着き登ってみることに…

 

 

これは小牧山の北側の写真。

 

 

道は左右に幾度も折れ、なかなか上に上がることができません。敵がこの山まで攻めてきた時、容易に本丸まで登らせないために、この様な構造にしたのでしょうか。

 

 

曲がりくねった道を上がっても、更に本丸への険しい道は続きます。

 

 

その昔この道を信長、家康はもちろん、その他の武将や足軽も登ったと思うと、坂道も楽しくなりますね♪

 

 

 

 

 

 


北側の山道にも土塁らしきものがありました!

 

 

自然地形なのか、後世のものかわかりませんが、パッと見、土塁です。

 

 

 

 

 

 


縦堀の様な遺構。

 

 

数ヶ所ありますが、大手口から登った所にあるものが見応えがあります。

 

 

 

 

 


頂上の本丸には天守閣風の建物があり、中は資料館になっています。

 

 

信長の時代や、家康が本陣を置いた小牧長久手合戦(1584)の頃には、この様な近世城郭みたいな天守は無く、これは構成のものです。

 

 

現在では、小牧山城を訪れた人は、頂上のこの建物を目指し、また元旦から営業しており、初日の出を見る事ができる観光地として有名です。

 

 

開館時間

午前9時〜午後4時30分(入館は午後4時15分まで)。

 

 

休館日

  • 第3木曜日
  •  

  • 年末年始(12月29日〜1月3日)

 

※ただし、祭日の場合は翌日

 

※元旦は営業

 

 

入館料

  • 大人¥100
  •  

  • 小人(小学生・中学生)¥30
  •  

  • 団体(30人以上)の場合は、大人¥60、小人¥20

 

※土曜日・日曜日・祝日は小人の入館無料

 

 

小牧市歴史館公式サイト

 

 

 

 

 

発掘調査で新しい真実も!

 


小牧山城では、最近、発掘調査を進めています。

 

 

将来的には公園整備されるらしいのですが、サクッと掘って義務的に現地説明会をして、終わったらサクッと埋めて次の場所を掘って…

 

 

みたいなのの繰り返しで、なかなか現地説明会にも行けません。

 

 

でも今まで知られていなかった土の中の歴史が解明されつつあります。

 

 

 

 

 

 


例えば信長時代の石垣は、今まで頂上に1重だったと思われてきましたが、発掘調査を進めてみると、いくつもの石垣が出てきたのです。

 

 

信長が小牧山城を築いたのは、岐阜城を整備する前なので、岐阜城以前に石垣の城を築いていたという事になりますね。

 

 

 

 

 

・所在地  小牧市大字小牧

 

・立地  平城

 

・築城時期  永禄年間(1558〜1569)

 

・築城者 織田信長

 

・主な城主 織田信長、織田信雄

 

・現状  史跡公園

 

地図


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