犬山城 | 愛知県で唯一の国宝指定のお城




犬山城 | 愛知県で唯一の国宝指定のお城

 

 

愛知県犬山市の犬山城はかつての尾張国(現在の愛知県)と美濃国(現在の岐阜県)の国境にあり、戦国時代も攻防が激しかったお城です。現在、天守は国宝に指定されています。

 

 

 

 

 

歴史

 

犬山城は天文六年(1537)に木之下城主であった織田信康が、居城の木ノ下城を三光寺山(今の犬山城のある場所)に移したのが始まりです。

 

 

織田信康の後を継いだ息子の信清は、織田信長に犬山城を追われて甲斐国(現在の山梨県)へ逃亡。

 

 

元亀元年(1570)に池田恒興が城主となりましたが、その恒興も天正九年(1581)に尼崎へ移ったので信長の末子・織田信房が城主になります。

 

 

しかし翌年の本能寺の変で信房は信長と共に亡くなってしまい、中川定成が城主を務めましたが、その直後に信長の次男・信雄と羽柴秀吉の関係が悪化。

 

 

中川定成の出陣中に秀吉方となった池田恒興が再び犬山城を奪取しますが、その恒興も天正十二年(1584)の小牧長久手合戦で亡くなり、その後は信雄に返され、豊臣秀次、石川光吉と城主が変わります。

 

 

慶長五年(1600)の関ヶ原の戦いで石川光吉は西軍になり所領を没収され、その後、清州城主となった松平忠吉の家老・小笠原吉次が城主となります。

 

 

松平忠吉が亡くなった後は、徳川家康の九男・義直が清州城主から名古屋城主になり、この時、義直の守り役として平岩親吉が犬山城に入城しました。

 

 

でも親吉には子がなく、没後6年間は城主不在となりましたが、元和四年(1618)に成瀬正成が義直の守り役となり、犬山城に入城しました。以後、明治維新まで成瀬家が城主を務め、版籍奉還(1869)の後、成瀬家は犬山藩主から犬山県知事へ。

 

 

 

 

 

しかしこの後歴史が動きました!

 

 

明治二十四年(1891)に起った濃尾地震で天守が半壊、付櫓は倒壊してしまったのですが、旧状修復を条件に県から成瀬家へ天守と城地が譲渡され、これにより全国唯一の個人所有の犬山城が誕生します。

 

 

その後、平成十六年(2004)に財団法人犬山城白帝文庫に移管され、個人所有の歴史は終わってしまいましたが、天守閣の国宝指定はそのままで、平成十八年(2006)には日本100(43番)にも選定されました。

 

 

現在では愛知県有数の観光地として有名なお城になっています。

 

 

 

 

 

感想

 

2004年4月に、その長い個人所有のお城としての歴史を終えた国宝・犬山城。現在は財団法人犬山城白帝文庫の所有となりました。

 

 

私の感想ですが、まずは国宝の天守に登る前にチェックしておきたい城下町の観光案内所。

 

 

ここで地域情報やイベントをチェックします。

 

 

最新の情報のほか、お得なクーポン券などが付いたチラシもたまにあるので、ひととおりチェックしておきたいですね。

 

 

城下町には、犬山城の歴史と江戸時代の城下町城の様子がよくわかる城とまちミュージアム、毎年の祭りに出てくる山車(だし)のからくり人形を展示したからくり館。

 

 

江戸時代の商家をそのまま展示してある旧磯部邸、名物屋台の集合施設の昭和横丁など、楽しさがたくさんあります。

 

 

 

 

 

いよいよお城に登りますが突如現れる犬山市特有のマンホ−ル・針綱神社、朱橋、石垣、空堀等、いろんな楽しみが出迎えてくれます。

 

 

また城内に入ってまず気付くことは、階段がかなり急な角度何です。45度と言ってもいい様なくらい。

 

 

そして床を歩くと『ギシギシ』という(きしみ)が、建物の古さと歴史を感じます。

 

 

最上階は展望室になっており、転落防止のネットなどはなく、木曽川から吹く風をそのまま体で受け止める事もできます。

 

 

天守入場料は¥500必要ですが、それ以上の価値があると思いました。

 

 

 

 

 

 

ますは観光案内所


犬山城のふもとにある観光案内所はコインロッカーや観光パンフレツトなどがあり、できれば最初にチェックしておきたいですね。

 

 

 

 

 

そして城下町

 


犬山城からまっすぐ伸びたメインの通りを含む周辺が、かつての城下町です。電柱が地面に埋められ、景観も重視された城下町には、和モノをはじめ、ちょっとツマめるグルメや雑貨屋さんが並んでいます。

 

 

あと資料館もいくつかあるので、城下町散策の時にチェックしておきたいですね。

 

 

 

 

 


国宝茶室・如庵(’じょあん)は、城下町から少し離れた有楽苑(うらくえん)という日本庭園の中にあります。千利休の弟子だった織田信長の弟・長益(有楽斎)が建てた茶室です。犬山城から少し離れた場所にありますが、徒歩で十分行ける範囲です。茶道や建物に詳しい人が行くとより楽しめると思います。

 

 

>>有楽苑公式サイト

 

 

 

 

 

 


城下町にある城とまちミュージアムは、江戸時代の犬山城の様子がよくわかる施設。特に館内の中央に展示してある犬山城と城下町のジオラマは圧巻です。

 

 

>>城とまちミュージアム | 犬山観光情報公式サイト

 

 

 

 

 

 

そして国宝天守へ!


いよいよ天守に登ります。

 

 

登城口からは石畳になっており、いくつかの屈折、つまり折れ曲がって登る形になってます。

 

 

これは敵に攻められた時、そのままストレートに天守にたどり着かせない様、敵の側面から攻撃ができる横やがけのためなのでしょう。

 

 

 

 

 

 

石垣


天守に登るまでにチェックしておきたいのが石垣。

 

 

ほとんどが野面積み(のづらづみ)という工法の石垣で、長い年月を感じさせる苔が良い味を出しています。そんなに高い石垣ではありませんが、やはりお城ではチェックしておきたいもののひとつです。

 

 

 

 

 

 

門跡


石畳の登り口の脇をよく見てみると、かつての城門跡があります。現在では門の礎石を案内看板があるのみです。ちなみここのいくつかの城門は犬山市と周辺に移築してあり現在でも残ってます。

 

 

 

 

 

 

天守の付櫓


天守に入ろうとすると、なにやら出っ張った部分があります。これは付櫓(つけやぐら)といって、天守内に入ろうとする敵を側面から攻撃するための施設です。

 

 

 

 

 

 

国宝天守の中は異次元

 


無事?城内に入るとまず気付くことが、階段がかなり急だという事です。これは構造上のものとも、敵が侵入してきた時にスンナリ登らせないためともいいます。

 

 

天守内は土足禁止で、歩くたびに床が『ギシギシ』きしむ場所もあって、これが江戸時代から続く建物なんだな〜という印象を受けましたね。

 

 

あと天守内の展示物は少なく、展示物を見るというより建物の構造を味わうといったカンジです。

 

 

 

 

 

 

最上階から美濃を望む

 


天守の最上階は展望室になっていて、周辺を見渡すことができます。

 

 

また手すりは低く、転落防止のネットもなく、その理由は、『できるだけ本物を味わってほしいから』とのこと。

 

 

でも展望室には数人のスタッフの方がいますので安心ですね。

 

 

さて、この天守から眺める景色は主に2つ。

 

 

ひとつが南側の名古屋方面、そしてもうひとつが木曽川を挟んだ岐阜(美濃)方面です。

 

 

ここからの眺めで国境のお城なんだな〜という実感も沸きますし、木曽川の風を全身で受け止める事もできますので、この展望室は時間を忘れてしまいますよ。

 

 

・所在地 犬山市犬山北古券65-2

 

・立地  平山城

 

・築城時期  天文六年(1537)

 

・築城者  織田信康

 

・主な城主  織田氏・池田氏・石川氏・成瀬氏など

 

・現状  国宝犬山城

 

地図

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