小口城 | 尾張国守護代だった織田氏一族の居城
愛知県丹羽郡大口町の小口城跡は、室町時代に尾張国守護代だった織田氏一族の居城で、尾張統一を目指す織田信長に攻め落とされました。
また天正十二年(1584)年の小牧長久手合戦でも使用されたお城です。別名・箭筈城(やはずじょう)、信長公記には於久地城の名前で記載されています。
歴史
小口(おぐち)城は、室町時代中期の長禄三年(1459)に織田遠江守広近が築いて居城しました。
この織田広近という人物は、当時尾張国守護の斯波氏を補佐する守護代で、岩倉城主の織田敏広の弟です。
お城の規模は東西約90m、南北約105m程の規模で、二重とも三重ともいわれる堀が巡っていたそうです。
広近は約10年間居城した後、文明元年(1469)に木之下城(犬山市)を築いて移ったので、子の信康らが城主となりました。
時は流れて永禄年間(1558〜70)になると、犬山城の織田信清の家老・中島豊後守が小口城主になっていましたが、尾張統一を目指す織田信長に攻められ、耐え切れずに丹羽長秀を通じて降伏しました。
その時、一旦廃城。
しかしまたまた歴史の表舞台に出てくる小口城。
今度は天正十二年(1584)の小牧長久手合戦時に羽柴方の砦のひとつとして、改修され、稲葉一鉄が入城しています。
感想
かつての小口城の中心部分と思われる場所は城址公園として整備され、資料館や物見台などがあり、ちょっとした観光スポットになっています。
またお城の規模はこの城址公園を含む周辺の住宅地一帯だったという事です。
私の感想ですが、まず駐車場があるのが非常に助かると思いました。
次に資料館には織田広近一族の詳細や小口城周辺のジオラマなどがあり、物見台にも登る事ができ、周辺の風景を一望できます。
あと資料館横に謎の土盛があり、もしかすると土塁の址、もしくは櫓台(物見台)みたいな建物が建っていた址なのかもしれません。
資料館も櫓台も入場無料でですし、トイレもキレイで女性でも楽しめるお城です。
あと歴史的な事ですが、廃城になった後にも小牧長久手合戦で利用されている事から、重要な街道を押さえるお城だったのでしょう。
小口城周辺の詳しい街道筋は分かりませんが、再利用されるお城は、交通の要所だったことが多いので、小口城もそういった理由があったお城だったのかもしれません。
これが謎の土盛。
櫓台(物見台)みたいな建物の後かと思いきや、長細いので土塁にも見えたりで、よくわからないのですがなにか意味ありげなんです。
平成6年および8年に行われた発掘調査で発見された野鍛冶炉跡。
ここで簡易的な鍛冶が行われていた事がわかっています。何を作っていたのでしょうね?
豊富な展示物で、しばし歴史のお勉強。詳しく、そしてわかりやすく説明してあり、ジオラマも要チェックです。
当時これだけのものがあったかどうかは分かりませんが櫓みたいな展望台です。
中に入ることができ、頂上からは周辺を一望できます。
- 開館時間
午前9:00〜午後4:30
- 休館日
月曜日と火曜日
※ただし祝日は開館で次の日がお休み。
縄張図
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