西尾城 | 足利氏が築き田中吉政が拡張したお城




西尾城 | 足利氏が築き田中吉政が拡張したお城

 

 

愛知県西尾(にしお)市にある西尾城址は、足利氏が築城し江戸時代初期に田中吉政が拡張し、その後、明治維新を迎えたお城です。

 

 

 

 

 

歴史

 

西尾城の創建については諸説がありますが、通説では足利義氏が承久の乱の戦功によって三河の守護に任じられた事に始まります。

 

 

義氏は三人の息子たちを次の様にしました。

 

  • 西条城(西尾城)を築き、長男・長氏を西尾城主に。
  • 次男・泰氏は足利氏の嫡流を継がせました。
  • 三男・義継に東条城(現・吉良町)を築き与えました

 

やがて西条城・東条城は吉良荘にあったので、この息子達は吉良氏を名乗る事になります。こうして義氏の息子達は、この地に地盤を固めていきました。

 

 

その後の西尾城は『西条吉良氏』のお城として存続しますが、応仁の乱になると細川方となり、山名方の『東条吉良氏』と骨肉の争いを行うなど、一族の力は弱まっていきます。

 

 

その後は駿河の今川氏の三河進出に伴い、『三浦氏』や牛久保の『牧野氏』が城代を務めました。

 

 

桶狭間合戦後は徳川家康の支配下となり、家康の関東移封後は田中吉政が岡崎と西尾の両城を治めました。

 

 

江戸時代になると目まぐるしく城主が変りますが、それに伴い西尾城も改修が重ねられ、明和元年(1764)以降は大給松平氏が入城、明治まで続きました。

 

 

 

 

 

感想

 

私の感想ですが、西尾城は時間をかけてジックリ楽しむ事ができるお城だと思います。

 

 

なぜかというと、かつての西尾城の中心地は西尾歴史公園となり、丑寅櫓や天守台なども復元されていますし、中心の住宅地には門跡や土塁跡、堀跡などが残っていて、ウォーキングがてら散策もできるからです。

 

 

専門知識が無いと周辺の住宅地散策は難しいと思いますが、西尾市にはボランティアガイドの案内や、城跡散策の講座があるので、年に数回散策することもできます。

 

 

あと毎年10月になると、西尾歴史公園で西尾藩鉄砲衆の古式火縄銃演武が行われます。

 

 

 

 

 

住宅地の遺構


住宅地を散策してみると、いろんな遺構に出合う事ができます。写真は西尾城丁田門跡。案内看板があり、詳しいことが書かれています。普通に街の風景に溶け込んでいますね。

 

 

 

 

 


西尾城址公園の隣りにある西尾小学校に残る西尾城の土塁。私の身長が150cmなので、土塁の高さもわかりやすいと思います。

 

 

 

 

 


これは別の場所にある外堀の土塁跡。石碑も建っています。

 

 

 

 

 

西尾歴史公園


かつての西尾城の中心地は西尾歴史公園として整備され、一般開放されています。いろんな見どころがあるのでまとめてチェックしておきましょう。

 

 

 

 

 


西尾歴史公園の鍮石門(ちゅうじゃくもん)。お城があった当時はまだ貴重だった真鍮(しんちゅう)が使われており、この名前が付きました。

 

 

 

 

 


近衛邸(このえてい)。摂家筆頭として左大臣を務めた近衛家の屋敷です。現在では茶室となっています。

 

 

ところでこの建物の前に白砂で敷いた部分がありますが、これは『馬出』の跡なのです。発掘調査の際発見されたもので、深さは2・5mもあったとか。

 

 

 

 

 


西尾城址公園に来たら必ずチェックしておきたいのが西尾市資料館。中にはお城関係のものや、西尾藩の甲冑、その他資料がたくさんあります。入城無料です。

 

 

 

 

 


信長が鷹狩りの際、喉を潤したという伝説が残る井戸です。

 

 

 

 

 


西尾城当時のものと伝わる野面積みの石垣。

 

 

 

 

 


天守復元が進む西尾城では、すでに天守台まで完成しています。実際に天守がココに復元されるのはいつでしょうか?

 

 

ちなみに天守があった場所は二の丸で、本丸には天守ではなく丑寅櫓(うしとらやぐら)がありました。

 

 

 

 

 

西尾城の丑寅櫓

 

本丸にあった丑寅櫓(うしとらやぐら)は平成八年(1996)に復元され、現在でも無料開放しています。本丸にありますがこれは天守ではなく、櫓という位置付けです。

 

 

 

 

 

 

丑寅櫓の中は中二階みたいな場所があって、それを含めると三階になっています。展示物はなく、構造を楽しむ仕組みです。

 

 

 

 

 


丑寅櫓の最上階からは周辺を見渡すことができ、天守台も見えます。

 

 

あと西尾城のスマホアプリ・西尾城デジタルアドベンチャーをダウンロードすると、バーチャルな西尾城を楽しむ事ができます。

 

 

>>西尾城デジタルアドベンチャー感想と実際レポ

 

 

所在地 西尾市錦城町327

 

立地 平城

 

築城時期 承久年間(1219〜22)

 

築城者 足利(吉良)義氏

 

主な城主 足利氏、牧野氏、酒井氏、田中氏、本多氏、松平氏、土井氏、三浦氏、井伊氏、太田氏

 

現状 城址公園・西尾小学校・宅地

 

地図


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