室城 | 東条吉良氏の譜代家臣で重臣・富永伴五郎忠元の居城




室城 | 東条吉良氏の譜代家臣で重臣・富永伴五郎忠元の居城

 

 

西尾市室町上屋敷にある室城跡は、東条吉良氏の譜代家臣で重臣・富永伴五郎忠元の居城です。牟呂城とも。

 

 

 

 

 

歴史

 

東条吉良氏の譜代家臣で重臣でもある富永氏の中でも有名なのは、吉良氏と運命をともにした富永伴五郎忠元です。

 

 

忠元は室城以外にも岡山城(吉良町)の城主も兼任しており、駒場・貝吹・永良の三村(3つとも現・西尾市)も領有していました。

 

 

そして桶狭間合戦後、三河統一を目指す松平氏と吉良氏が衝突!戦となります。

 

 

忠元は吉良氏側として戦いますが、吉良氏側はジリジリと追い詰められ、ついに吉良氏の本城である東条城近辺で起こった『藤波畷の戦い』で吉良氏は敗北。

 

 

この戦で忠元は討死してしまいます。享年二十五とも。

 

 

これにより形勢は定まり、吉良氏は松平氏の軍門に降りました。これによって名門・東条吉良氏は滅亡。同時に家康の三河制覇が確立した瞬間でもありました。

 

 

ところで室城は、家康の父・松平広忠が滞在した事もあるのです。

 

 

天文四年(1535)広忠の父・松平清康(家康の祖父)が守山城(名古屋市守山区)で暗殺され、三河国は大混乱になりました。有名な守山崩れですね。

 

 

当時広忠は9〜10歳(生年に異説あり)の幼年だったので、三河国をまとめる事ができません。攻めてくる尾張の織田氏に対抗できず、伊勢(現・三重県)や遠州(現・静岡県西部)を転々とします。

 

 

そんな可哀相な広忠でしたが、東条吉良氏の助力のお陰で、富永氏の居城・室城(この時の城主は忠元の父・忠安)に入る事ができました。

 

 

そして広忠は後に今川義元に援護され、岡崎城に入っています。

 

 

 

 

 

感想

 

複雑な歴史のカラミがある室城ですが、お城跡としてはオススメ♪なのです。

 

 

まず、室町字上屋敷にある神明社〜林松寺がお城跡との事。

 

 

広島浅野文庫蔵【諸国古城之図】によると、5つの曲輪で構成された連郭式の縄張りで、お城の北側は山すそに沿って『水ホリ』があり、南側が『沼地』となっています。

 

 

周囲を良く見てみると北に流れる川が『水ホリ』にあたり、そして南には水田が広がり『沼地』を想わせます。

 

 

林松寺の墓地が本曲輪にあたり、ここに碑と井戸跡もあります。さらにお城の周囲をぐるりと回ってみると、明確に高低差がわかり、独立した丘陵上にある事が確認できます。

 

 

時間をかけてゆっくり回ってみたいですよね。

 

 

 

 

 


松林寺の隣りにある神明社も城域とのこと。

 

 

 

 


本曲輪(本丸)の墓地にて。室城の碑がありますが、よく見ると土塁の上に建っている様な…

 

 

 

 

 


コチラも本曲輪にて。写真では分かりにくいですが、井戸跡です。

 

 

 

 

 


お城の北側を流れる川。古地図にある『水ホリ』の名残でしょうか?

 

 

 

 

 


南〜東にかけては、『沼地』を想わせる水田が広がっています。高低差も分かりますよね。

 

 

 

 

 


比高15m程のお城ですが、独立した丘陵上にあり、お城跡の雰囲気を楽しめます。少し勇気を出して藪の中に入る事ができたら、更なる発見があったのかもしれません…

 

 

 

 

 

 


愛知県中世城館跡調査報告U西三河地区より

 

 

作図者 石川浩治 氏

 

 

所在地  西尾市室町字上屋敷

 

立地  平山城(標20・比15)

 

築城時期  永正年間(1504〜21)

 

築城者  富永氏

 

主な城主  富永氏

 

現状  神明社・古城山林松寺・墓地

 

地図


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