大久保陣屋 | 三河物語の著者・大久保彦左衛門の陣屋跡
愛知県額田郡幸田町の大久保陣屋は、三河物語の著者・大久保彦左衛門の陣屋跡です。
歴史
天下のご意見番として知られる大久保忠教(彦左衛門)の大久保氏の陣屋跡です。
大久保氏はもともと『宇都宮氏』と称していましたが、彦左衛門の父・忠員の時から『大久保氏』を名乗りました。
大久保氏は代々、松平氏・徳川氏に忠勤を励み、譜代の家臣として各地を転戦、 忠教は慶長十九年(1614)に家康の直参として取り立てられ、千石の知行でこの地に陣屋を築きました。
その後、寛永元年(1624、さらに千石の加増をうけ、竜泉寺、桑名、葉栗を領しました。
感想
大久保陣屋跡は現在八百富神社となっています。鳥居の下に当時の石垣が残り、看板も建っています。
私の感想ですが、大久保彦左衛門は有名ですが、その陣屋跡も石垣などが残っているので、歴史好きや城好きの方にはオススメの陣屋だと思いました。
また幸田町では毎年7月に大久保彦左衛門を顕彰する、幸田彦左まつりが開催されます。
大久保陣屋の隣にある坂崎公民館の敷地に、平岩の射割石という大きく平らな石があります。
この名石は、若いときから家康に仕え、後に尾張・犬山藩主となった平岩親吉の先祖が、坂崎の領主となった時、この名石にちなみ『平岩氏』を名乗ったそうです。
もとは幸田町大字久保田字平岩にあったそうですが、耕地整理の際にこの地に移されました。
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