東部城 | 桶狭間合戦後に酒井正親が築き小牧長久手合戦で改修されたお城




東部城 | 桶狭間合戦後に酒井正親が築き小牧長久手合戦で改修されたお城

 

 

愛知県額田郡幸田町の東部城跡は、桶狭間合戦後に酒井正親が築き、小牧長久手合戦でも改修されたお城です。別名・鷲田城。

 

 

 

 

 

歴史

 

この酒井与四郎正親という人は家康の家臣で、永禄四年(1561)といえば桶狭間合戦の翌年にあたり、家康が今川氏より独立し、三河平定のために東条・西条の吉良氏攻略の足がかりとして築かせたものです。

 

 

家康の三河平定後は、しばらくそのままだったようですが、天正十三年(1585)、小牧・長久手合戦時に秀吉方への備えとして、松平家忠に東部城の改修を命じています。

 

 

そんなことから、当時から交通上要所だったことが分かりますよね。

 

 

 

 

 

感想

 

かつての東部城は児童公園・神社・宅地と化してしまいましたが、周囲には『城山』・『御殿』・『川城』・『弓場』・『蔵西』・『井戸田』等の字名が広範囲に残っていることから、その規模が伺えますよね。

 

 

東部城を取り巻く河川は、改修工事で川筋が一部変ってしまったとの事ですが、当時も河川を天然の堀として利用していたのでしょう。

 

 

でも私の感想ですが、現在東部城の西側に川が入り組んでいますが、この地形はかなり変わったものだと思います。

 

 

その理由は、川の向こうにもお城ゆかりの字名があるからです。『城山』、『川城』、『御殿』、『弓場』がそれですね。

 

 

現在の感覚で見ると川、つまり天然の堀の向こうになるわけですが、当時は地続きだったと考えるほうが自然だと思います。

 

 

これも私の仮説なのですが、こうした想像もお城巡りの楽しさのひとつですね。

 

 

 

 

 


東部城を取り巻く河川からの高低差。こうして見るとよく分かりますよね。

 

 

 

 

 


東部城で一番気になったのは、児童公園向かいの馬頭観音がある高台。ココだけ高くなっています。

 

 

当時はほかにもあったかも知れませんが、物見台、もしくは櫓を置くなら最適ですよね。

 

 

所在地  幸田町大字菱池字東部

 

立地  平城

 

築城時期  永禄四年(1561)

 

築城者  酒井与四郎正親

 

主な城主  酒井氏

 

現状  児童公園・神社・宅地

 

地図


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