愛知県愛西市の詳細不明のお城まとめ
愛西市の不明のお城をピックアップしてみました!
2005年4月に、
- 佐屋町
- 佐織町
- 立田村
- 八開村
この4つの町村が合併して誕生した愛西市(あいさいし)。
あまり開発が進んでいない地区のようですが、お城跡の遺構はあまり残っていません。
しかし遺構の名残と伝わるものや、雰囲気は結構残っていたりします。
すべて平城で、有効城館数『8』の愛西市のお城の歴史の特長は、西側に勢力を持っていた一向一揆との戦いでしょう。
信長は、伊勢との国境近くのこの地に、弟二人を配置し、国境を固めていました。
信長が最も手を焼いた一向一揆だけに、備えも厳重だったのでしょう。
そのほか、信長のおじいさん・信定が攻めた『早尾東城』。
戦国時代以前のものと伝わる『十二城』など、遺構ではなく、歴史を楽しめるお城が多いと思いました。
早尾西城
『尾張志』に出てくるお城。早尾船原地内にあったとか。
御粥屋敷
『尾張志』に記載がある、御粥藤左衛門の屋敷。
田尻城
『尾張志』に記載がある田尻城ですが、お城があったという事だけで、詳細は書かれていません。
立尻村は江戸時代の寛永元年(1624)に開かれた村ですが、それ以前から独立した小さい村のような形で、人々が住んでいました。
嘉永三年(1850)に田尻村の庄屋・弥左衛門が、家数17軒の小さな村として、尾張藩に報告した文章の末尾に、『当村城跡丸之内と申す場所も御座候』とあり、お城があったことが分かります。
田尻城跡は木曽川改修工事により大きく変わってしまい、現在は何もありませんが、堤防の隅の畑地に『田尻城跡・馬洗い石』という石碑と看板が建っています。
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