石田城 | かつての立田村にあった詳細不明のお城跡
愛知県愛西市(旧立田村)にあった石田城は、詳細不明のお城跡ですが、堀の遺構が残っています。
歴史
石田城は築城者も年代も不詳のお城です。
【尾張志】に唯一記載が見られるのみで、それによれば東西約72m、南北約108mで、北・東に堀があったとか。
現在民家になっており、屋敷の北側にはかつての堀を想像させる、大きな水路がありました。
屋敷の方に伺ったところ、かつては屋敷のすぐ東側に、船が通れる大きな水路があり、船でこの屋敷に物資を運んでいたそうです。
現在でも、名残が残る細い水路があります。
古城研究家の山田柾之氏は、著書・『愛知の城』で石田城のことを
『木曽川下流東岸、立田輪中の中央部に築かれた平城で、この様な低湿地の城は尾張では希少な存在である』
と述べています。
感想
石田城跡の周りは見渡す限り平地なのに、なぜかこの屋敷だけ周辺より一段高くなっています。
現在屋敷がある場所は、地元では『城屋敷』の通称で通っている場所です。
私の感想ですが、この石田城は歴史に埋もれてしまった小豪族のお城だったと思います。
なぜかというと、戦国時代には大きな勢力に吸収されていった小勢力の豪族がたくさんいたからです。
例えば戦国武将というと、柴田勝家とか丹羽長秀といった人達を思い浮かべますが、それ以外にも歴史の中に消えていった武将たちがたくさんいました。
そんな武将たちの居城跡が、詳細不明のお城跡として現代に残っているケースは多いんです。
お城巡りをしていると、そんな詳細不明のお城によく遭遇します。
石田城の城主はどんな人だったのだろう?
今に残る堀跡を見ながらそんな事を思い浮かべてみました。
夏に撮った北側の水路の写真。かつての堀跡と伝わります。
所在地 愛西市石田町村前
立地 平城
築城時期 ?
築城者 ?
主な城主 ?
現状 民家・畑
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