新右衛門屋敷 | 戦国時代以前の堀田新衛門と半七郎の屋敷跡
愛知県津島市の新右衛門屋敷は、戦国時代以前の堀田新衛門と半七郎の屋敷跡です。
歴史
応永年間(1394〜1428)に信濃宮の残党、いわゆる四家七党がやって来てこの地に住み着いたため、その時の屋敷ではないかという説もあります。
しかし屋敷の主だった堀田新衛門と半七郎がどんな人物だったのか?
そして新右衛門屋敷がその後どうなったのかという歴史には謎に包まれています。
感想
かつての新右衛門屋敷は、現在の成信坊があった場所だったみたいです。
現在ではお寺になっており、屋敷時代の遺構らしきものは残っていません。
私の感想ですが、この新右衛門屋敷のポイントは、その立地だと思いました。
どういうことかというと、まずは新右衛門屋敷の東に100mほど行くと、かつての奴野城だった西方寺があります。
そうすると新右衛門屋敷の堀田新衛門と半七郎が、奴野城主だった大橋氏とどういう関係にあったのか?
近すぎるために敵対勢力とかではないと思いますが、時代的にも距離的にも近いので、両者ともこの地に影響力を持っていたのでしょう。
あと西に約500mほど行くと、津島神社もありますので、津島神社に関連した豪族だった可能性がありますね。
ちなみに津島神社には、戦国大名たちが寄進した本殿や門があり、重要文化財に指定されていますので、この周辺のお城跡とセットで巡るのがおすすめだと思いました。
また毎年7月下旬には、天王祭があり、大勢の観光客で賑わいます。
津島は少年時代の加藤清正が住んでいたことがあり、鬼の面をかぶって盗賊を退治したエピソ−ドが残っています。
そんな加藤清正を祭ったのが清正公社です。
津島市に来たら、必ずチェックしておきたい津島神社には、戦国大名も数々の寄進を行っています。
まず豊臣秀吉が楼門を寄進し、息子の豊臣秀頼が南門を寄進、そして関ヶ原合戦後に清州城主になった、松平忠吉の妻・政子が本殿を寄進しています。
毎年7月下旬に行われる津島神社の天王祭(てんのうさい)。
戦国時代も行われており、信長もお気に入りの祭りだったとか。
毎年、大勢の観光客が訪れます。
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