宇治城 | 篠田左衛門が築城し後に織田有楽斎の居城となったお城
愛知県津島市の宇治城は、篠田左衛門が築城し、後に信長の弟・織田有楽斎の居城となったお城です。
歴史
宇治城の築城時期は不明ですが、藤原道家十八代の末孫と称する、篠田左衛門が城主でした。
お城の規模は、東西約180m、南北約360m程の規模と伝わります。
戦国期になるとこの周辺は織田信長の勢力圏になり、織田源五郎(後の織田有楽斎)が、篠田氏に代わって宇治城主となりました。
ちなみに篠田左衛門は浄金と名を改め、家督を息子の四郎左衛門に譲り、別の地に堀・土塁を構えた隠居所を立てて住みました。
四郎左衛門は信長から大杉姓を拝領し、源五郎(後の有楽斎)の家老になっています。
感想
かつての宇治城の推定場所は、現在の津島市宇治町茶ノ里にある福裕寺の西側といわれています。
なぜここが宇治城跡かというと、福裕寺の西側が字城になっており、そのことからお城跡ではないかと推測されます。
現在では田んぼとなっていますが、字のちょうど境目に水路が走っており、堀を連想させてくれました。
私の感想ですが、この字城というのもお城を探す手がかりのひとつだと思いました。
なぜかというと、実際にお城跡を巡っていると、旧字名がお城にちなんでいるケ−スは多いからです。
例えばかつての城下町といわれていた場所が字市場、弓矢の訓練場が字的場、お城の前が字城前など、未だに地名が残っています。
しかしこの旧字名がお城にちなんでいても、近くにお城が探せないケースもあるので、あくまでも研究材料のひとつですが注意してチェックしておきたいですね。
字の境目を走っている水路。昔からあるなら堀の名残かも?
なんて想像してしまうくらい立派な水路です。
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