藤森城 | 小牧長久手合戦の落武者・小関三五郎が築いたお城
名古屋市名東区の藤森城は、天正十二年(1584)に起こった小牧・長久手合戦の落武者・小関三五郎が土着し、築いたお城と伝わります。
歴史
小関三五郎は、池田恒興軍に属し長久手で敗退、数名の家臣と、この地に逃れました。
三五郎は部下の死を弔い、この地で再起を図っていましたが、戦傷の身でその見込みもなく、残った家臣も三五郎のもとを去っていき、前途の望みを持ちながらも、天正十七年に亡くなったと伝わります。
藤森城もその時に廃城したと伝わります。
感想
藤森城跡と伝わる場所は、本郷1丁目の藤森神明社から本郷公園のかけての所といわれています。
私の感想ですが、この地は高低差が激しく、隠れ谷の様な印象を受ける場所でした。
藤森神明社は、写真の様にかなりの高低差があります。
ところで小関三五郎は、石ヶ根(現・石ヶ根町)に居を構えたとの話も残っており、敗軍の将なので、詳しい詳細も残っていません。
ひょっとして藤森城は、石ヶ根町の方にあったのかもしれませんよね。
了玄院には、小関三五郎のお墓があります。
同じ名東区の武将・加藤勘三郎のお墓と並んでいます。
ちなみに、一番左の三角の石碑は、藤森城の事が書かれています。
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