上社城 | 謎が多い戦国武将・加藤勘三郎の居城
名古屋市名東区の上社(かみやしろ)城は、この地に勢力を持っていた加藤(賀藤)勘三郎の居城といわれています。その他歴史は不明。
歴史
この加藤【勘三郎】は、ひとりの人物を指すのではなく、代々城主の世襲名だった様で、幅広い年代にかけて名前が出てきます。
古い記録ですと、文明六年(1474)にこの近くにあった観音寺の過去帳に『加藤勘三郎』の名前が出てきます。
あと、それから何代目の勘三郎か知りませんが、本能寺の変後、織田家に仕えていた勘三郎は、二条城で亡くなった主君・織田信忠を訪ね、それきり行方が分からなくなってしまったという説もあります。
そうと思えば、上社城を廃城にして、同じ名東区にある高針城に移ったともいわれ、いつの時代にどの人物がどんな動きをしたのか混乱してしまいます。
だって、皆、『勘三郎』ですから…
感想
上社城は、現在の名東区上社五丁目の観音寺から上社公園付近と伝わります。
遺構はありません。
ところで気になる加藤勘三郎のお墓が、同じ名東区の了玄院にあります。
お寺の中に勘三郎の位牌がありますが、、これには『文明六年』(1474)没とあります。これは代々『勘三郎』を名乗っていたので、先祖の位牌でしょう。
ところでこの了玄院のお墓となりには、なぜか藤森城主・小関三五朗のお墓があります。
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