下社城 | 織田信長に仕えた柴田勝家の生誕地




下社城 | 織田信長に仕えた柴田勝家の生誕地

 

 

名古屋市名東区の下社(しもやしろ)城は、織田信長に仕えた柴田勝家の生誕地でもある柴田氏の居城です。

 

 

 

 

 

歴史

 

築城は勝家の父といわれる柴田勝直(伊賀守)によるもので、築城時期は文明年間〜永正年間(1460年〜1500年頃)といわれています。

 

 

柴田氏は織田大和守家に仕え、織田信秀亡き後、勝家は当初、信長ではなく弟の信勝(信行)に使えていました。

 

 

しかし稲生ヶ原の合戦で、信勝が敗れてからは信長に仕える様になりました。

 

 

その後各地を転戦、越前(福井県)北ノ庄城主となりましたが、信長が本能寺で討たれた後羽柴秀吉と対立、遂には秀吉に討たれてしまいます。

 

 

ところで下社城ですが、西方を流れる天白川を天然の堀とし、内側を一重堀で囲まれた54m四方の方形のお城であったと伝わっています。

 

 

廃城は勝家が北ノ庄城に移った天正四年(1576)頃といわれています。

 

 

 

 

 

感想

 

 

下社城といわれる場所は、現在の名古屋市名東区陸前町にある明徳寺というお寺です。

 

 

明徳寺は、周囲よりも高台にありお城の雰囲気は、かなり残っています。

 

 

またお寺の中に石碑が二つありました。

 

 

私の感想ですが、遺構が残っていなくても高台の地形もまたお城跡を想わせるもので、開発が進んだ名古屋市だからこそ、貴重な高低差がお城の雰囲気を色濃く伝えています。

 

 

稲生ヶ原の戦いの時も、勝家はここから出陣したのでしょうか。

 

 

 

 

 

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これは明徳寺の裏側の写真。石垣の上が明徳寺ですが、道路から見ると高台になってるのがわかりますね。

 

 

西側に向けて地形は低くなっており、現在は名古屋第二環状自動車道や鉄筋の建物で遠くは見渡せませんが、かつては西側に開けていた景色を見る事ができたと思います。

 

 

・所在地  名東区陸前町

 

・立地  平山城

 

・築城時期  ?

 

・築城者  柴田勝直

 

・主な城主  柴田氏

 

・現状  明徳寺

 

地図


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