刈谷古城は緒川城主・水野貞守が文明初めごろに築いた刈谷城の前身のお城




刈谷古城は緒川城主・水野貞守が文明初めごろに築いた刈谷城の前身のお城

 

 

刈谷市の刈谷古城跡は緒川城主・水野貞守が文明初めごろに築いた刈谷城の前身のお城です。

 

 

 

 

 

歴史

 

知多半島(尾張)に勢力を持っていた水野氏は、対岸の三河に侵出します。そのために当時海だった現在の衣浦湾を渡り築城しました。これが刈谷古城です。

 

 

刈谷古城については詳細がよく分かっておらず、文明十七年(1485)の禅僧の紀行文である【梅花無尽蔵】に記載があるくらいです。それによるとお城の存在と当時の城主・水野貞守の事が書かれているそうです。

 

 

貞守の後、賢正、清忠と続き、忠政の時に金ヶ小路(かねがしょうじ)に新しいお城(これが現在の刈谷城)を築いて移り、刈谷古城は廃城になりました。

 

 

 

 

 

感想

 

刈谷古城は現在の刈谷市天王町2丁目にありました。現在はアパート、畑地になっており、お城時代の遺構は残っていませんが、私の感想は大まかな地形と雰囲気がシッカリ残っていると思いました。

 

 

その理由ですが、まず刈谷古城跡の西側はかつて海の様な大河でした。現在では逢妻川と境川が合流して大きな川になっていますが、これがもっと広かったのですね。

 

 

だから刈谷古城跡が海(大河)に面したお城だったと考えられます。そしてその向こうには水野氏の本拠地だった緒川城があるので、川を背にして2つのお城で守りを固めていた事が分かります。

 

 

現在では刈谷古城の西側は大きく埋められていますが、かつての地形を想像してみるのも古城めぐりの面白さだと思います。

 

 

所在地  刈谷市天王町2丁目

 

立地  平城

 

築城時期 文明年間(1469〜87)頃

 

築城者  水野貞守

 

主な城主  水野氏

 

現状  宅地、畑地

 

地図


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