知立市の八橋古城ともいわれる葦香城は、平安時代の村上兵部兼房の居城跡
八橋古城ともいわれる知立市の葦香城は、平安時代の村上兵部兼房の居城跡です。
※葦香の読みは、あしか
歴史
別名・八橋古城の名が残る葦香城は、この地に勢力を持った村上氏の居城です。
築城は平安時代の頃、とう事は分かっていますすが、その他の事については記録が残っておらず、詳細は不明です。
感想
葦香城跡は発掘調査が行われており、それによると15世紀〜16世紀頃にかけても、お城として存続していた事が確認されています。
また焼土層も確認され、火災にあった可能性もあるそうです。
大正七年の三河鉄道工事の際、この付近より大量の人骨と五輪塔が出土し、その一部は石碑の横に祭ってありました。
現在では閑静な住宅街の片隅の公園に石碑が残っています。
私の感想ですが、葦香城は歴史や詳細は不明ですが、お城の雰囲気が色濃く残っていると思いました。
まず葦香城の北を現在の逢妻男川が流れているのですが、これが天然のだった様に見えます。
お城があった時代から500年近く時間が経過しているので、川筋や川幅も当時のままではないと思いますが、川という水の流れは当時からあったのではないでしょうか。
あと葦香城の石碑がある場所の周辺が低くなっており、石碑の場所が高くなっています。これはお城の高低差だった可能性があります。
また近くには在原業平(ありわらのなりひら)とカキツバタで有名な古刹・無量寿寺(むりょうじゅじ)があります。
無量寿寺の創建は慶雲元年(704)と 伝わる事から、葦香城が築城された頃にはすでに無量寿寺がありました。この事から、葦香城の村上氏は、無量寿寺の寺社勢力と何らかの関係があったのではないかと思います。
石碑が残る公園は周囲より高台にあります。もしかしてここが本丸なのでは?
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