織田信長の兄・信広が今川方に捕縛された安城市の安祥城跡




織田信長の兄・信広が今川方に捕縛された安城市の安祥城跡

 

 

愛知県安城市の安祥城は、戦国時代に尾張の織田氏と三河の松平氏、そしてそれを支援する駿河の今川氏によって、攻防が繰り広げられたお城です。

 

 

 

 

 

歴史

 

安祥城は松平氏の居城として有名なお城ですが、築城者は松平氏ではなく、松平氏以前の和田遠江守という説があります。

 

 

そんな安祥城ですが、文明三年(1472)松平氏の始祖・親近から数えて三代、信光が策を持って安祥城を攻略、これにより松平氏の安祥城の歴史が始まります。

 

 

山奥の松平郷から拠点を現在の岡崎市の岩津城、そして平地の安祥城に移した事により、松平氏の勢力拡大は加速し、ここより大給・西福・東条・滝脇に分家を出しています。

 

 

その後、安祥城の松平氏(本家)は、親忠→信忠→清康と続き、本城を岡崎城へ移します。

 

 

松平清康により、松平氏がほぼ三河を支配化に治めましたが、守山崩れで清康が討たれてからの天文九〜十八(1540〜49)の間、織田・今川・松平の三氏が安祥城を奪い合いました。

 

 

この間に繰り広げられた合戦が安城合戦です。

 

 

そして天文18年(1549)、当時の安祥城主・織田信広(信秀の長男で信長の兄)が生け捕りにされてしまいます。

 

 

この時、松平氏は今川氏の傘下に納まっており、松平氏の嫡男・竹千代(後の家康)は織田氏に人質として取られていました。

 

 

安城西野において織田の人質・松平竹千代と今川の人質・織田信広の交換が行われ、お城は今川氏のものになりました。

 

 

その後の桶狭間合戦後、松平氏は岡崎城で今川氏から独立、織田氏と同盟が結ばれた頃、安祥城は廃城となりました。

 

 

 

 

 

感想

 

戦国時代が終わり、寛政四年(1792)に安祥山大乗寺が建立され、今日に至る安祥城。

 

 

一説では、織田・今川・松平三氏によるお城の奪い合いで戦乱が耐えなかった時、前田利家の妻・『まつ』の父親である篠原主計が安祥城で討ち死にしています。

 

 

さてそんな安祥城ですが、現在本丸には大乗寺、二の丸には八幡社、三の丸には安城市歴史博物館があり、安祥城全体が城祉公園として整備され、市民の憩いの場となっています。

 

 

整備されたといっても、公園の中にお城の史跡がチラホラとありますので、歴史博物館の見学も兼ねて、半日位かけて満喫することもできます。

 

 

 

 

 


現地看板にある安祥城の縄張り図。

 

 

大乗寺がある場所が本丸で、現八幡社と書いてあるのが二ノ丸、さらに安城歴史博物館と安祥公民館に向かって突き出ている部分が三ノ丸といわれています。

 

 

 

 

 


大乗寺に隣接している八幡社が、かつての二ノ丸と伝わります。

 

 

 

 

 


三ノ丸は安城市歴史博物館側にあったといわれています。

 

 

 

 

 


現在、安祥城は二つの櫓台跡が確認されています。北と南の櫓台跡ですが、お城の防備を考えると重要な場所ですよね。

 

 

これは南の櫓台跡。北側はほぼ削平地になっています。

 

 

 

 

 


安祥城の虎口(こぐち)跡。虎口とは曲輪の出入り口の事です。城門などもあったのでしょうね。

 

 

 

 

 


徳川四天王のひとり・本多忠勝の父である忠高の墓。

 

 

安祥城は数回にわたり、尾張の織田と駿河の今川&三河の松平が争った城で、多くの犠牲が出ました。これを安祥合戦(あんしょうかっせん)と言います。

 

 

忠勝の父、祖父も安祥城合戦で亡くなっているんです。

 

 

所在地 安城市安城町赤塚1

 

立地 平城

 

築城時期 ?

 

築城者 和田遠江守親平

 

主な城主 和田氏、松平氏、織田氏

 

現状 大乗寺、城址公園、宅地

 

地図


関連ページ

安城市の詳細不明のお城跡まとめ
かつての三河国だった愛知県安城市の詳細不明のお城跡をまとめたカテゴリです。
福釜城 | 徳川家康を支えた親盛を祖とする松平氏一族のお城
かつての三河国だった愛知県安城市の福釜城は、徳川家康を支えた親盛を祖とする福釜松平氏一族のお城です。この記事では福釜松平氏の歴史と福釜城の現地レビュー、そして私の感想を書いてみました。
高木城 | 徳川十六神将の一人・高木清秀の屋敷跡
かつての三河国だった愛知県安城市の高木城は、徳川十六神将の一人・高木清秀の屋敷跡です。この記事では高木城の歴史や現地レビュー、そして私の感想を書いています。
保科城 | 甲斐の武田氏に仕えていた信州高遠城主・保科正直の屋敷
かつての三河国だった愛知県安城市の保科城は、甲斐の武田氏に仕えていた信州高遠城主・保科正直の屋敷址です。この記事では保科城の歴史と現地レビューそして私の感想を書いています。
山崎城 | 松平清康の弟で広忠と戦う事になった松平信孝の居城
かつての三河国だった愛知県安城市の山崎城は、松平清康の弟で広忠と戦う事になった松平信孝の居城です。この記事では山崎城の歴史と現在の様子、そして私の現地レビューと感想を書いています。
安城古城 | 安祥城を築いたといわれる和田氏の館跡
かつての三河国だった愛知県安城市の安城古城は、安祥城を築いたといわれる和田氏の館跡といわれています。この記事では安城古城の歴史や安城古城にゆかりのある武将の紹介をしています。
安城市の丈山苑は城跡でした。それが石川丈山屋敷跡です。
かつての三河国だった愛知県安城市の石川丈山屋敷跡は、城跡といわれています。現在の丈山苑がその場所です。この記事では石川丈山の屋敷跡の現状レビューと感想を書いています。
東端城 | 長久手合戦で池田恒興を討った永井直勝の居城
かつての三河国だった愛知県安城市に残る東端城は、長久手合戦で池田恒興を討った永井直勝の居城です。この記事では東端城の歴史と現地レビュー、そして私の感想を書いています。
桜井城 | 松平信定を祖とする桜井松平家の居城
かつての三河国だった愛知県安城市の桜井城は、松平信定を祖とする桜井松平氏の居城跡です。この記事では桜井城の歴史と現地レビュー、そして私の感想を書いています。
城郭寺院は本證寺だけじゃない!安城市に残る誓願寺と内藤氏の姫小川城跡
かつての三河国だった愛知県安城市には、城郭寺院として残る誓願寺と内藤氏の姫小川城があります。この記事では、誓願寺と姫小川城の歴史と現地レビュー、そして私の感想を書いています。
安城市小川町に残る石川氏の小川志茂城跡と小川的場丘城跡
かつての三河国だった愛知県安城市小川町には、石川氏の小川志茂城跡と小川的場丘城跡があります。この記事では2つのお城の歴史と現地レビュー、そして私が訪れてみた体験の感想を書いています。
伊予松山城を築いた加藤嘉明の生誕地と伝わる安城市の岩根城跡
賤ヶ岳七本槍のひとりで後に伊予松山城を築いた加藤嘉明の生誕地と伝わるのが、愛知県安城市の岩根城跡です。この記事では岩根城跡の歴史と現在の様子、そして私が訪れてみた時の感想を書いています。
三河一向一揆の拠点のひとつ安城市野寺の本證寺
愛知県安城市の本證寺は三河一向一揆の拠点のひとつになった城郭寺院で、城郭研究ではお城として研究されています。この記事ではほんしょうじの歴史と現在の様子。そして実際に訪れてみた私の感想を書いています。
安城市木戸町に残る2つのお城跡!それが木戸村古城と木戸城
かつての三河国だった愛知県安城市木戸町には2つのお城跡があります。それが木戸村古城と木戸城です。この記事では木戸村古城と木戸城の歴史と現地の様子、そして私の感想を書いています。
藤井城 | 松平長親の五男・利長を祖とする藤井松平氏の発祥の地で居城跡
かつての三河国だった愛知県安城市の藤井城は、松平長親の五男・利長を祖とする藤井松平氏の発祥の地でその居城跡です。この記事では藤井松平氏の歴史や藤井城の現地レビュー、そして私の感想を書いています。
安城陣屋 | 元禄年間に置かれた旗本・久永信豊の陣屋跡
かつての三河国だった愛知県安城市の安城陣屋は、元禄年間に置かれた旗本・久永信豊の陣屋跡です。この記事では安城陣屋の歴史と現在の様子、そして訪れてみた私の感想を書いています。
根崎陣屋 | 大河内松平氏の陣屋で永井直勝の妻・百合姫の祠がある陣屋
かつての三河国だった愛知県安城市の根崎陣屋は、江戸時代の大河内松平氏の陣屋です。この記事では根崎陣屋の歴史のほか現地を訪れてみた私の感想を書いています。

ホーム RSS購読 サイトマップ