中島城 | 小口城の出城ともいわれる中島氏の居城
愛知県丹羽郡大口町の中島城跡は、小口城の出城ともいわれるお城で、中島氏(中嶋氏)の居城と伝わります。
歴史
詳しい資料も文献も見当たらない中島城ですが、天保年間(1830〜44)の村絵図には、【中島左兵衛尉城跡】という名前で記載されているそうです。
また【尾張の古城】の著者である笹山忠氏によれば、永禄五年(1565)、織田信長が小口城を攻めた時、小口城の出城だった中島城は生駒党と前野党が攻めよせて、五条川を挟んで激しい攻防が繰り広げられたそうです。
しかし約1時間くらいで中島城は落城してしまいました。
当時の城主については記録も残っていないのですが、おそらく城主は鎌倉時代からこの地に勢力を持っていた一宮市の中島城の一族なのでしょう。
その後、江戸時代の村絵図に中島氏の名が出ており、大口町内にある余野神社の【青銅の鰐口】の銘に中島左兵衛の名があり、慶長二年(1597)の寄進という事なので、その頃までは豪族として存続していた様です。
感想
中島城があったといわれる場所は、現在の役場の東、五条川沿いの所との事ですが、この場所は現在見渡す限りの畑となっており、お城の遺構はまったくありませんでした。
ただ役場の西側の字が『丸』なので、お城の関連地名に思えてなりませんでした。
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