常滑城 | 水野監物忠綱が築城し山城守、守隆三代の居城となった城
愛知県常滑市の常滑城は、緒川の水野氏の一族である水野監物忠綱が築城し山城守、守隆と三代の居城となった城です。
歴史
常滑城は戦国時代初期の文明十一年(1479)頃の築城といわれています。
その頃、室町幕府の重職であった一色氏が知多一帯を支配していましたが、応仁の乱で兄弟が敵・味方で争い、一色氏は衰退。
その家臣で大野城主だった佐治氏が台頭してしまいます。
その後、佐治氏が海の向こう(渥美半島)から、渡ってきた戸田氏と南知多で争っている間、隙をぬって緒川の水野氏が常滑に進出、そのまま支配してしまいます。
時は流れ、天正十八年(1590)水野氏は、尾張の大名、織田信雄の支配下にありました。しかし信雄が秀吉から追放され、その時、常滑城も廃城となりました。
感想
常滑市立西小学校の南に名もなき小高い丘があり、そこに常滑城の碑があります。
そこから東へ約130m行った天理教常滑文教会敷地前にも石碑があり、こちらがお城の中心と考えられます。
お城跡周辺には、堀西、堀中、堀東と言う地名が残り、当時を偲ばせています。
私の感想ですが、常滑城は石垣や天守という遺構は残っていないものの、郷土史レベルの城としては非常に興味深いものがあると思います。
その理由は、あまり知られていない城なのですが、水野氏一族の居城という歴史もあり、お城跡も高低差など当時を偲ぶものが残っているからです。
時間をかけて歩いて散策すると、かつての常滑城の雰囲気がよく分かります。
公園にある常滑城の看板。
石碑のある公園から常滑城を見るとこんな感じです。高台になっているのがよく分かります。
東にある天理教常滑文教会敷地前。この石碑周辺が常滑城の主郭(本丸)あたりだったといわれています。
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