品野城 | 大金重高が築き松平と織田で争奪戦!そして信長が落としたお城
愛知県瀬戸市の品野城は、大金重高が築き松平と織田で争奪戦になったお城です。
歴史
承久の乱で活躍した大金重高によって、健保年間(1213〜19)に築城された古いお城です。
大金氏、戸田氏、坂井氏と城主が変わり坂井氏の時に、戦国時代を迎えました。
第一次品野台合戦
当時、尾張の織田氏と今川氏傘下の三河の松平氏の争いが激化しており国境の小豪族である坂井氏は尾張の織田氏か三河の松平氏、どちらにつくか選択を迫られ結局織田氏についた坂井氏。当然松平氏に攻められます。
結果、品野城は落城、城主坂井秀忠はこの戦で亡くなりましたが、一族は片草村に落ち延びました。
大二次品野台合戦
その後、品野城は城攻めの大将・松平信定に与えられ、家重、家次へと伝えられました。
織田家は対抗策として山崎城を築き、家臣の竹村長方に品野城を攻めさせましたが、逆に品野城の松平家次が山崎城を落としてしまいました。なかなか強い松平氏。
しかし、ついに怒った織田信長の総攻撃を受けて、品野城は落城します。これが桶狭間の合戦の前哨戦となりました。
感想
何度も合戦があった品野城。そのお城跡は、瀬戸市品野町の秋葉山と呼ばれる山頂にありましたが、2005年3月に開通した東海環状線で登ることが出来なくなってしまいました。
しかし地元の小学生から教えてもらった別の道があり、ちょうど山の裏手から登ることができました。
すると早速、城内のほぼ中央にある堀切に出ました。この堀切の半分側に本丸を含む曲輪があり、現在本丸には稲荷神社が祀ってあります。
縄張図通りの削平地、曲輪があり、さらに反対側には縦堀にも見える遺構、そして曲輪間を取り巻いている腰曲輪のようなものも明確に残っています。
比高もそんなに高くなく、季節を選べばかなり楽しむ事ができるお城だと思います。愛知県瀬戸市でも屈指の遺構の残り具合が良いお城です。
それでは品野城への行き方を説明します。つまりアクセス方法ですね。
まず品野城の入り口にあたる場所には稲荷社が祭られており、ここから山頂に登る事ができたそうですが、愛・地球博開催に合わせた東海環状線(高速道路)の開通により登山道を遮断。
登ることができなくなってしまいました…
しかし地元の小学生から教えてもらった方法で品野城へ登る事ができました。
稲荷神社の東北に高速道路の高架に抜ける道があります。民家の側道みたいな細い道です。
すると高速道路の高架を潜れるんです!
この道路がもともとの登山道を遮断しているので、その下を抜けるといよいよ山中です。
山中に入ると、道のいたるところに謎の石垣があります。土留めの石垣でしょうか?ということは、道自体最近まで使われていたということですよね。
ところで肝心のお城跡ですが、進行方向【右斜め前】の山が品野城です。入り口がわかり辛いですが、登れそうな所から登りましょう。
あまり行きすぎると品野城を過ぎてしまいますが、常に右側を意識して、進むと登れそうな場所があります。
決して整備されている道でもないので、行く場合は自己責任でお願いします。
山の裏手から登城、するといきなりの大堀。この大堀がお城跡を二分する形になっています。
本丸と思われる場所には稲荷神社がありました。たしか山の麓にも稲荷神社がありましたよね。
高速道路が通るまでは、麓からここまで登ってこれたのでしょう。
本丸周辺にある人工的な柵平地、曲輪ですよね。
撮影した季節は1月でこんな感じです。そんなに木々も生い茂ってなく、遺構も明確に分かりますよね。
私が一番気になったのがこの縦に流れる堀みたいなもの。縦堀に見えますが、山の尾根間の溝といえばそれまで。
しかし縄張図にも3つ並んでの配置が確認されています。尾根間の溝にしてはかなり不自然です。
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