日進市の詳細不明の城跡まとめ
かつての尾張国である、愛知県日進市の詳細不明のお城跡をまとめてみました!
野方西城
【尾張志】にその名前が出てくるほかは、謎に包まれたお城です。
お城跡は現在の日進市立西小学校の東にあったとのこと。現在温室がある辺りでしょうか?周囲より一段高くなっています。
でもよく見ると西小学校のほうが前に川が流れており、周囲より3〜5m程高い事に気付きました!こっちのほうがお城っぽかったです。
野方東城
【尾張志】に、その存在が記載されているものの、城主・築城年不明のお城。
お城跡は地元で聖人塚と呼ばれている塚の辺りと考えられます。野方西城から東へ100m位の所にありました。
現在の県道58号線沿いにポツンと残る聖人塚(しょうねづか)は、昔ある僧が修行の為、鈴を持ち『この鈴の音がしなくなったら入定(死去)したと思ってくれ』と言い残し土中へ入ったとの言い伝えが残ります。
このエピソードは張州府志(宝暦二年・1752)にあり、お城はそれ以前のものと推測されます。
藤枝城
岩崎丹羽氏の一族・丹羽堂隠が居城したと伝わります。お城跡前を旧飯田街道が通っており、旧飯田街道を押さえる重要なお城だったのでしょう。
現在の日進市藤枝町の薬師寺の裏にある田んぼがお城跡と伝わります。
昭和四十四年の農道整備の時、お城跡とされる場所から大量の加工された石が出てきたとの事です。
すぐ側に川が流れ、周囲より一段高くなっており、平城の雰囲気が残っていました。
浅田城
日進市浅田町にあったといわれる浅田城は、岩崎丹羽氏の一族と考えられる丹羽伝左衛門の居城と伝わります。
現在は住宅地と化し、お城の遺構も残っていません。
しかし地図をよく見ると、南方に走っている『県道58号線』は、かつての飯田街道でありこの浅田城から飯田街道沿いに、お城が並んでいたことから、これらのお城と連携して街道をおさえていたお城のひとつだったと推測されます。
米野木城
築城年、城主共に不詳。現在、日進市東部福祉会館の駐輪場に石碑が、建つのみです。
築城年、城主共に不詳でも、なにか遺構があるかも! と思い行ってみましたが、近くに川があるだけで本当にこれといって遺構はありませんでした。
矢野城
岩崎丹羽氏の家臣・矢野某の居城と伝わりますが、築城年や築城者、そして詳細は不明です。
現在の日進市東山3、4丁目あたりにお城があったそうです。
私の感想ですが、この場所は丹羽氏の折戸城の向かいにある事から、折戸城時代の重臣の居城だったと思います。
現在では宅地やマンションが建ち並び、開発が進んでおり、高台にあるという以外、お城の遺構みたいなものは残っていませんでした。
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