坂井戸城 | もしかすると城主は織田信張かも
名古屋市西区の坂井戸城は戦国時代に尾張下四郡を治めていた守護代・織田大和守の三奉行のひとつである織田藤左衛門家の城という説があるお城です。
歴史
坂井戸城の城主は小田又六という人物で、織田信長と同じ時代の人らしいのですが、記録が残っておらず詳細は不明。
しかし又六という名前から、近くにある上小田井城主・織田又六郎信張ではないかという説があります。
もしそうなると、尾張下四郡守護代・織田大和守の三奉行のひとつである織田藤左衛門家の城という事になりますね。
さて、織田又六郎信張という人物ですが、信長に仕えた武将ということで、いくつか記録が残っています。
まず信長公記によると、弘治二年(1556)7月に織田信長が家臣と共に盆踊りの祭を主催した事がありました。
この時、信張の家来衆が地蔵に扮したという記録があり、早くから信長に近い家臣だったのではないかと思われます。(ちなみにこの時信長は天人の扮装をして女踊りをしています)
その後、信長と共に各地を転戦。本能寺の変後は、信長の息子・信雄に仕え文禄三年(1594)に近江の大津で68歳で亡くなっています。
感想
現在のCBC自動車学校付近が坂井戸城跡みたいです。現在は自動車学校になっており、かつてのお城時代の遺構は全く残っていませんでした。
関連ページ
- 大野木城 | 鉄砲の名手・塙直政の居城
- 名古屋市西区にあった大野木城についての記事です。城主は鉄砲の名手といわれた塙直政(原田)。
- 押切城 | 鎌倉時代に大屋佐渡守が築いたお城跡
- 名古屋市西区の押切城についての記事です。築城は鎌倉時代で、名古屋市内でも古い城跡で、築城者は大屋佐渡守と伝わります。
- 名塚砦 | 柴田勝家VS信長!稲生の戦いで信長が築いた砦跡
- 名古屋市西区にある名塚砦跡についての記事です。名塚砦は稲生の戦いで信長が築いた砦として歴史の記録に残っています。この戦は柴田勝家と信長が戦ったことでも知られています。
- 比良城 | 織田信長に仕え越中富山城主になった佐々成政の生誕地
- 名古屋市西区の比良城についての記事です。比良城は織田信長に仕え越中富山城主になった佐々成政の生誕地で、近くには織田信長が大蛇を退治するために訪れた蛇池があります。
- 平田城 | 斯波氏の一族の平田源左衛門の居城
- 名古屋市西区の平田城に関する記事です。城主は斯波氏の一族である平田源左衛門と伝わります。
- 長忠屋敷 | 信長・秀吉に使えた丹羽長秀の兄・丹羽将監長忠の屋敷跡
- 名古屋市西区の長忠屋敷についての記事です。城主は信長、秀吉に使えた丹羽長秀の兄・丹羽将監長忠という人物です。現在の状況と私の感想も書いています。
- 丹羽長秀屋敷 | 米五郎左こと丹羽長秀の屋敷跡
- 名古屋市西区に残る米五郎左こと丹羽長秀の屋敷跡についての記事です。