上野城 | 小豆坂七本槍のひとり下方左近将監貞清の居城
上野城は、永正年間(1504〜21)に信濃国(現・長野県)よりこの地へ移ってきた、下方貞経が築いたお城です。
歴史
当時貞経は、岩倉城を拠点とする『伊勢守系』の織田信安に仕えていましたが、対立していた『大和守』系の織田信秀に攻められ続け、天文7年(1538)より信秀に仕えました。
その後、病死した貞経の跡を継いだ貞清は、若干15歳。
しかし武勇の誉れ高く、天文十年(1541)には、『小豆坂七本槍』のひとりとして、その武勇を賞賛されました。
そして信秀亡き後は信長に仕え、萱津合戦や姉川の戦いなどで活躍し、生涯で6回1番槍の功績を残しました。
その子孫は代々尾張藩士としてこの地に残ったと伝わります。
感想
かつての『小豆坂七本槍』のひとり下方貞清の居城である上野城。現在の名古屋市立上野小学校が、そのお城跡と言われています。
お城の石碑は、上野小学校から北に約100mの所にある下方氏の菩提寺である永弘院に移っています。
地形的にやや高くなっていますが、お城跡を偲ぶ遺構はありませんでした。
また上野城跡と伝わる上野小学校の南側には、かつての城主だった下方氏由来でしょうか、下方町が残っています。
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