末森城 | 信長の弟・織田信行の居城で父・信秀が亡くなったお城
かつての尾張国である名古屋市千種区の末森城跡は、織田信長に反抗的だった弟・信行(信勝)の居城。また信長の父である織田信秀が亡くなったお城として有名です。
末盛城とも。
歴史
もともとは天文十七年(1548)に、尾張の織田信秀が三河の今川方に備え、古渡城(名古屋市・中区)より移り築いたお城。信秀はこの城で亡くなっています。
お城は弘治三年(1557)信行が亡くなった後に廃城されました。
そして時代はは流れて天正十二年(1584)、小牧・長久手合戦で、織田信雄が末盛城のお城としての機能を再生させて、秀吉方に備える軍事拠点のひとつにしています。
感想
歴史的に有名な末森城(末盛城)は、名古屋でも街中の千種区・広小路通り沿いにありました。
現在では城山八幡宮という神社ですが、私の感想は土塁を思わせる高低差、しっかり残る堀等、お城ファンを魅了する場所はたくさん残されていると思います。
標高は43m程ですが、幅12〜20mの外堀を構え、山の中腹にある本丸と二ノ丸を取り囲む様に、内堀を配置してありました。
特に本丸を巡る内堀の北側に存在した三日月堀は珍しく、貴重なものであったと伝わります。
末森城の境内周辺には、かつてのお城時代の堀跡が残されています。
特に本殿裏の三日月堀は、金網で入る事はできないのですが、金網越しでもハッキリと確認できるくらいの残り具合です。
また草木に覆われているので、堀の良い状態を確認するなら冬がオススメですよ。
縄張り図
愛知県中世城館跡調査報告T 尾張地区より
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