戸田城 | 尾張に残る田原戸田氏の居城跡




戸田城 | 尾張に残る田原戸田氏の居城跡

 

 

名古屋市中川区の戸田城は江戸時代に田原藩主(愛知県田原市)となる戸田氏の祖先・戸田宗光が尾張にいた頃に居城していたお城です。

 

 

 

 

 

歴史

 

築城は古く、【張州府志】によると『戸田村に康和年間(1099〜1104)に大膳少進平季政が居を構えた』みたいな記述が見られます。

 

 

平季政は戸田の庄司として居を構え、その後、戸田氏の時代になり、戸田氏の本家は三河国の上野城(愛知県豊田市)に移りました。

 

 

その後、戸田氏は三河田原に移り、今川氏や松平氏に対して臣従や離反を繰り返し竹千代事件を起こしたりしますが、最終的には家康に仕え、江戸時代には田原城を拠点とした田原藩主となりました。

 

 

ちなみに岐阜県の大垣城主として名を残す戸田氏鉄もこの一族です。

 

 

【竹千代事件】

 

 

竹千代事件とは、田原戸田氏が起こした徳川家康売り飛ばし事件。

 

 

天文十六年(1547)、今川氏と争っていた西三河の松平氏は、守山城で起こった『守山崩れ』で当主・清康が亡くなり、衰退の一途を辿っていました。

 

 

自力で独立できる力が無くなった松平氏は、西の織田氏に対抗するために、駿河の今川氏を頼り、嫡男・『竹千代』を人質として駿府に送る事になりました。

 

 

しかしこれを当時の戸田家当主・尭光(たかみつ)が奪い、事もあろうか尾張の織田氏に売り飛ばしてしまいます。

 

 

これにはさすがの今川義元も激怒した様で、軍勢を引き連れて戸田氏征伐のためだけに東三河に侵攻。

 

 

この時の勢いは凄まじく、戸田一族は次々と討たれ、大崎城、田原城も落城。戸田本家も一時途絶えました。

 

 

その後、今川氏は安祥城を攻め、信長の兄である信広を人質に取り、織田家にいた竹千代と人質交換が成立。竹千代は駿府に送られました。

 

 

 

 

 

感想

 

 

康和年間(1099〜1104)の築城ということは、愛知県内でも屈指の古いお城ではないでしょうか?その戸田城は現在の中川区戸田1丁目付近にあったといわれています。

 

 

周辺は開発が進んで住宅地となり、お城時代の遺構らしきものは残っていませんでしたが、【戸田】の名は地名だけではなく、駅や橋に残っています。

 

 

・所在地 中川区戸田1丁目周辺

 

・立地 平城

 

・築城時期 康和年間(1099〜1104)

 

・築城者 平季政

 

・主な城主 平氏・戸田氏

 

現状 住宅地


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