福谷城 | 原田氏の築城で酒井忠次の居城になったお城




福谷城 | 原田氏の築城で酒井忠次の居城になったお城

 

 

愛知県みよし市の福谷(うきがい)城跡は、当地の土豪・原田氏の築城で、松平(徳川)家臣・酒井忠次の居城と伝わります。

 

※福谷の読みは うきがい

 

 

 

 

 

歴史

 

当時今川氏の傘下だった松平氏は、弘治年間(1566)〜永禄二年(1559)にかけて、酒井忠次にお城を改修させ、敵だった尾張の織田氏に備えていました。

 

 

しかし永禄三年(1560)年、桶狭間の合戦で今川義元が戦死。松平氏は翌年、織田氏と結ぶ事になり、尾三同盟が成立します。

 

 

その後国境のお城である福谷城は、その役割を終え廃城となりました。

 

 

 

 

 

感想

 

今川義元の存命中は、三河と尾張は激しく戦っており、この福谷城も織田家の武将・柴田勝家が攻めています。

 

 

さて、そんな福谷城ですが、お城跡は標高20m程の小山にあり、現在では2つの郭を確認する事ができます。

 

 

さらに北側の郭周辺には、堀跡も残り、満足度の高いお城でした。

 

 

 

 

 


北側の曲輪。土塁も確認できますよね。三好町教育委員会の看板もあります。

 

 

 

 

 


周辺には堀跡も確認できました。

 

 

 

 

 

 

 

(愛知県中世城館跡調査報告2 三河地区より)

 

福谷城の縄張り図を見てみましょう。本丸はUの削平地で、現在神社になっています。

 

上の写真の北側の曲輪はTです。つまり本丸のほうが標高が低いのですね。

 

あと、『西部平坦面』はそのままの平地で、ココに車を停めました。かつての曲輪跡でしょうか?

 

そして一番上の四角い区画は、城山保育園です。

 

 

所在地  三好町大字福谷字市場61-2

 

立地  丘陵

 

築城時期  15世紀〜16世紀

 

築城者

 

主な城主  原田氏重・酒井忠次

 

現状  山林・畑地・宅地

 

地図


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