割田城 | 清和源氏の血を引く一族・開田氏の居城
愛知県一宮市(旧木曽川町)の割田城跡は、清和源氏の血を引く一族・開田氏の居城跡といわれています。
歴史
割田城に関しては謎が多く、戦国時代以前に清和天皇の血をひく開田氏が築いて居城したといわれています。
【尾張名所図会】によれば、開田氏の古城址は外割田にあり、開田二郎国用、開田判官代国重らが住んだとあります。
分かっている事はそのくらいです。
感想
かつての割田城は、現在の一宮市木曽川町外割田にある外割田児童遊園地周辺と伝わります。
私の感想ですが、現在、お城跡の遺構みたいなものは残っていませんが、お城跡を想わせるいくつかのポイントがありました。
まずは公園の北から南へと流れる野府川がもしかすると堀跡?と想わせる形になっています。
次に公園の住所が字城跡です。これもお城跡によくある事例ですよね。
あと、もともとこの地には八剣神社がありましたが、平成四年に児童公園が作られた際に移動してしました。
写真に石碑が写っていますが、これはお城の石碑ではなく、神社移動を伝える石碑でした。
また石碑が建っている場所は土盛になっており、周辺から見ると高くなっていますが、もしかすると土塁、または物見台や櫓台の跡?と思ってしまいました。
戦国時代以前のお城跡ということで、実戦的なお城ではなく、堀や土塁を巡らした豪族の居館みたいなものだったのかもしれませんが、当時はどの様なものだったのか、想像が膨らみますね。
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