三ツ井重吉城 | 三井高久、尾藤源内重吉の居城




三ツ井重吉城 | 三井高久、尾藤源内重吉の居城

 

 

愛知県一宮市の三ツ井重吉城跡は、室町時代の尾張守護である斯波氏の家臣・三井高久の居城であり、後に岩倉城主・織田信安に仕えた尾藤源内重吉の居城ともいわれています。

 

 

別名・尾藤城

 

 

 

 

 

 

歴史

 

もともとこの地には、室町時代の尾張守護・斯波氏に仕えた三井高久の三井城があったといわれています。

 

 

後の大永年間(1521〜28)に信濃国(現・長野県)から流れてきた、尾藤重吉が城跡を整備したのか、新たに築城したのか、この地にお城を築きました。

 

 

しかし重吉は、その後、尾張に勢力を広げる信長と仲が悪く、挙句の果てには攻められて三河へ逃れ、重吉城は一時、廃城状態になりましたが、小牧・長久手合戦で、織田・徳川連合軍の拠点のひとつとして使用されました。

 

 

というのも、小牧〜清洲間を結ぶ補給路の中継地として重吉城は、地理的にも重要な場所にあったからです。

 

 

ところで三河へ逃れた尾藤一族ですが、重吉の三男・清兼が『青木清兼』と名乗り、再び当地へ戻り、秀吉に仕えました。

 

 

朝鮮出兵にも参加したりで活躍したのですが、病に倒れ、母方の姓である『桑山』に名を改め、この地に落ち着きました。

 

 

 

 

 

 

感想

 

かつての三ツ井重吉城跡は、一宮市丹陽中学校の南、県道153号沿いにありました。

 

 

比較的まっすぐな153号に、ポツンと看板があり、重吉城跡もポツンとあります。

 

 

お城跡には、重吉城を示す石碑と説明が書かれた石碑があり、本丸と思われる場所は周辺より少し高台になっています。

 

 

さらには、意味ありげな石がいくつか残っています。

 

 

私の感想ですが、この平地にある平城が歴史的にも廃城になった後に再利用されているのは、やはり交通の要所だったからだと思います。

 

 

現在でも稲沢市から一宮市千秋町に抜ける県道にあり、千秋町といえばかつて、信長と岩倉織田氏が戦った浮野古戦場があるので、この周辺も兵糧運搬の街道だったのでしょう。

 

 

パッと見、何も無さそうな三ツ井重吉城跡ですが、目を凝らしてみると見るべきポイントがいくつかあります。

 

 

 

 

 

 


かつての本丸跡?と思われる場所が、少し高台になっています。

 

 

 

 

 

 


尾藤源内重吉城跡と刻まれた石碑があります。

 

 

読めるので、そんなに古い石碑ではないかな?

 

 

 

 

 

 


立派な石碑がありますが、それより気になるのはこの石。

 

 

重吉城の中心に固めてあります。掘ったら出てきた石なのか、それとも…

 

 

重吉城の周りには、このタイプの石はなく、明らかに意図的に置いてあるようにしか思えないのですが。

 

 

石垣の石、もしくは別の用途があった石なのでしょうか?

 

 

所在地 一宮市丹陽町重吉城戸145

 

立地  平城

 

築城時期  大永年間(1521〜28)

 

築城者 三井高久

 

主な城主 三井氏、尾藤氏

 

現状 空き地、畑地

 

地図


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