水野良春の一族と子孫が拠点とした尾張旭市の新居城と新居館
愛知県瀬戸市の新居城と新居館は、水野良春の一族と子孫が拠点としたお城と館跡です。
歴史
室町幕府の功臣として知られる水野又太郎良春は志段見城(名古屋市守山区上志段)を居城としていました。
新たに新地を開拓して居館を築いたので、その地が新居村と呼ばれる様になり、良春から四世の孫・水野雅楽頭宗国が新居城を築きました。
※雅楽頭の読みは『うたのかみ』
その後の応仁の乱では、西境だった大森城(名古屋市守山区元郷1丁目)の尾関氏と対立。
尾関氏が新居城に攻めてきたところ、宗国は屋瀬之木(現在の尾張旭市西大道町八瀬の木前)で迎え撃ち、翌日には反撃して大森城を落とします。
これにより尾関氏は逃亡。
それ以後、織田氏が尾張と統一するまで新居と大森の二十五ヶ村を水野氏が支配しました。
水野氏は代々清洲城の斯波氏に仕え、後に織田信長にも仕えましたが、天正以後は帰農したため、新居城は廃城となりました。
そして江戸時代には、新居城の東約300mあたりのところに、名古屋城主であり、尾張藩初代城主・徳川義直が狩りをする時の仮殿が作られたそうです。
感想
かつての新居館と新居城は、城址公園として整備されています。
新居館の規模や様子は分かりませんが、後に築かれた新居城は、本丸と二の丸の2つの曲輪、そして東側に広がる2つの土塁が存在したことが分かっています。
規模は東西約280m、南北約140mで、北は丘山で守られ、東西南の三方は湿地帯という地形だったといわれています。
私の感想ですが、新居城は公園として開発されていますが、見るべきところも多く、お城巡り初心者の方でも分かりやすいお城だと思いました。
その理由は公園内には案内看板もあり、土塁や堀址らしい遺構もチラホラ残っているからです。
また天守チックな建造物・尾張旭市旭城の中には休憩所やレストランもあるので、史跡巡りとセットで利用したいですね。
新居城の土塁跡。当時はもっと高かったのでしょうね。
こちらは堀跡(かもしれない)。
水野又太郎良春の墓といわれる宝篋印塔(ほうきょういんとう)。
公園内には、スカイワードあさひと旭城という2つの建物があります。
スカイワードあさひは、歴史民俗フロアがあり、尾張旭市ゆかりの古城の展示がチラホラあります。
また旭城はレストランと休憩室があり、史跡散策での小休止の時に利用したいですね。
※水野氏時代の新居城には天守はなく、旭城は後世の模擬天守です。
かつて新居城があった新居村を開拓した水野良春。
名鉄瀬戸線・尾張旭駅前に銅像があります。
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