戸部城 | 今川義元の妹婿である戸部新左衛門政直の居城
名古屋市南区にある戸部城は、今川義元の妹婿である戸部新左衛門政直の居城と伝わります。
歴史
築城年代は不明ですが規模は東西約30m、南北約180mで、当時は三方を海に囲まれた半島状の要害の地だったともいい、また別の説では四方を崖に囲まれて東側に池があったとも伝わります。
戸部氏はもともと織田氏に従っていましたが、松平氏を傘下に収めた駿河の今川氏と織田氏が衝突し始めると、今川氏とも関係を持ちはじめたそうです。
【甲陽軍鑑】によると、安祥合戦(愛知県安城市)で織田信広が今川方に捕らえられた時、今川義元に信広の助命の仲介をした人物が政直だったとの事。
織田信秀が亡くなった後は信長を見限ったのでしょうか、今川義元に付き、義元の妹婿になったとも伝わります。(妹の名前は不明)。
あと近くにいた寺部城主の山口氏と仲が悪く、山口重俊が戸部城を攻めたことがあったのですが、これを退けたといわれています。
戸部新左衛門政直は豪傑で、とにかく武勇に優れており、信長も直接戦おうとせず、計略を使っています。
その計略というのが、偽手紙作戦。
政直の筆跡を真似て、今川義元に政直が織田氏に誼を通じているような手紙を届けさせました。
これを信じた義元は、政直を三州吉田(現在の愛知県豊橋市)に呼び寄せて成敗してしまいました。
桶狭間合戦の四年前、弘治二年(1556)の事です。
これ以後、城主を失った戸部城は廃城になりました。
感想
名古屋市南区の戸部3丁目の住宅街の中に戸部政直の石碑がありました。
この石碑は以前お城跡があった、300mほど西から移されたといいます。
戸部城の規模は東西約20m、南北約180mと縦長でしたが、三方は崖に囲まれ、残る東側は池で守られた、堅固なお城だったといいますが、昭和の区画整理で削平されてしまい、今は痕跡を留めていません。
石碑の隣に「ほととぎす、鳴いて過ぐるや、戸部の城」という句碑がありました。
桶狭間合戦時、もし戸部政直が切腹を命じられず、名古屋南東部を固めていたなら…
今川義元が討たれることもなく、歴史も変わっていたかもしれませんね。
※戸部新左衛門の碑は2016年4月に同じ名古屋市南区にある富部(とべ)神社境内に移設されました。
また戸部城の石碑がある場所から400mほど北にある長楽寺には、戸部新左衛門政直の木像がありました。
全国区の戦国史ではマイナーな武将の政直ですが、地元では歴史的にも有名人という事がわかりますね。
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