福島宰相屋敷 | 賤ヶ岳七本槍筆頭の福島正則の生誕地
愛知県あま市の福島宰相屋敷は、豊臣秀吉に仕えた賤ヶ岳七本槍筆頭の福島正則の生誕地です。
歴史
福島正則は永禄四年(1561)美和町二ツ寺で生まれました。
父は福島正信、母は秀吉の叔母に当たると伝わります。幼名は市松。
秀吉に仕え、山崎合戦、賎ヶ岳合戦、九州征伐、小田原の陣、朝鮮出兵に出陣。戦功を重ね、文禄四年(1595)、郷里清洲二十四万石の大名になりました。
そして秀吉死後の関ヶ原合戦では、石田三成と不和だったので家康の東軍として出陣。戦後、安芸広島四十八万七千石の大名となりました。
しかしここまでが正則の人生の絶頂期で、後に台風被害で広島城を修築した事を口実に改易当然の大減封。
越後国魚沼(現・新潟県)と信州川中島(現・長野県)に飛ばされ、四万五千石まで石高を減らされて寛永元年(1624)64歳で没しました。
感想
戦上手で豪傑のイメ‐ジが強い福島正則ですが、人情家としてのエピソードも多く、地元では根強い人気があります。
さて、そんな正則の屋敷跡ですが、現在二ツ寺字屋敷に『誕生地』の石碑が建てられています。
しかし本当の屋敷は、この石碑が建てられている場所より西にあったそうです。
私の感想ですが、ここにあった屋敷は城郭研究でいう、堀や土塁で囲まれた館城みたいなものではなく、庶民の屋敷だったと思います。
その理由は福島正則の父である、福島正信は桶屋だったといわれており、もともとは武士ではなかったのです。
父が桶屋時代に正則も生まれている事から、やはり普通の屋敷だったのでしょう。
また石碑より北へ100mほど行った所には、正則が清洲城主時代に、寺領五十石を寄進した正則の菩提寺・菊泉禅院があります。
ここには、まだそんなに古くない正則のお墓のほか、顕彰碑もあり、屋敷跡とセットで行ってみるのもよいかもしれません。
福島宰相屋敷跡の近くにある菊泉禅寺は、正則の菩提寺です。
墓地に正則の記念碑と供養塔があります。
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