荒子城 | 前田利家の生誕地説があるお城
名古屋市中川区の荒子(あらこ)城跡は、加賀百万石の祖・前田利家が生まれたお城といわれています。
※荒子の読みは あらこ
歴史
この地の土豪で前田城主だった前田利昌(前田利家の父)が、天文年間(1532〜55)に築城し居城しました。
利家も妻まつもここで幼少期を過ごしています。
城主は歴代前田家の人間であり、利昌から子の利久・その弟利家・その子利長と続きました。
天正三年(1575)に利家が越前北の庄(福井県)に移り、天正九年(1581)に利長も越前に移ったため廃城となりました。
この時に利家は荒子観音の本堂を再建し、荒子七ヶ村には、祭りの時に使用する絢爛豪華な馬道具(ばどん)を残していきました。
記録によると、荒子城は現在の荒子町大和ヶ池にあったといわれ、近くには的場町というお城ゆかりの地名が残っています。
【尾陽雑記】、【尾州古城志】によると、荒子城の規模は東西が約68m、南北が50mほどで一重の堀があったそうです。
また城内に『冨士権現社』と『天満宮』が祀られていたそうです。
感想
2002年のNHK大河ドラマ『利家とまつ』で一躍有名になった荒子城址。荒子の地名は今でも残っています。
荒子城の場所は、尾張四観音の一つ荒子観音の約南西200mの地にあり、『冨士大権現天満天神宮』という神社に石碑がありました。
この『冨士権現社』が、かつてお城の中に祀られていたものなのでしょう。
周辺は住宅地として整備されて、お城の遺構は残っていませんでした。
また前田利家の生誕節には2つあり、この荒子城で生まれ育ったという説のほかに、前田城で生まれ、荒子城で育ったという説があります。
神社の中には前田利家の生誕地を示す石碑が建っています。
私の身長が150cmなので、約5mくらいの高さになるでしょうか。
お城跡にはいろんな石碑が建っていますが、ここまで大きな石碑は珍しいです。
ちなみに利家の生誕地について。
定説は荒子ですが、荒子のほかに同じ中川区前田西町の前田城跡があります。
前田利家とまつの銅像
荒子城跡最寄りの駅である、あおなみ線の荒子駅前には、利家と正室・まつ(芳春院)の若いころの銅像が建っています。
もともとは利家の銅像だけでしたが、後にまつの銅像が追加されました。
荒子観音
荒子城跡から歩いてすぐのところにある荒子観音は尾張四観音のひとつで、名古屋では恵方巻の時に有名になるお寺です。
2002年に荒子観音から前田利家の鎧といわれるものが発見され話題になりました。
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