村木砦 | 緒川城の水野氏を攻めるために今川氏が築いた砦




村木砦 | 緒川城の水野氏を攻めるために今川氏が築いた砦

 

 

愛知県知多郡東浦町にある村木砦は、緒川城の水野氏を攻めるために今川氏が築いた砦です。

 

 

 

 

 

歴史

 

信長公記の記載は村木城。

 

 

天文二十二年(1553)頃、駿河の今川氏は岡崎に在陣して、山岡伝五郎の鴫原(しぎはら)城を攻め滅ぼし乗っ取りました。

 

 

※鴫原城は、重原城として現在の知立市に存在したお城です。

 

 

今川氏は寺本城の花井氏に人質を出させ見方につけ、村木砦と寺本城で、織田氏と水野氏を結ぶ道路を遮断、水野氏を攻めます。

 

 

水野氏は織田氏と協力して、村木砦を攻撃。多数の死者を出したものの陥落させました。

 

 

なお、この戦は信長が始めて鉄砲を使用した戦として記録に残っています。

 

 

 

 

 

感想

 

信長公記を読んでみると、村木砦の東側は当時海で大手があり、西側が絡手、北側は断崖、南は向こう側がハッキリ見えないくらいの大堀があったとあります。

 

 

現在では住宅地・畑地となり想像がつかないくらい地形が変わっています。

 

 

村木砦の戦いは、かなり激しい戦で、討ち死にした兵士も多かったらしく、戦死者供養の為に建立されたのが現在の村木神社です。

 

 

現在、村木神社のある場所は、砦の南側の出丸の様な一部分で、主郭は北側にあり宅地になっています。

 

 

信長公記によると、村木砦の東側は大手で海だったとの事ですが、現在は畑地になっています。

 

 

しかし神社の東側にまわって東側から村木砦を見ると、一段高くなっていることが分かるんです。

 

 

私の感想ですが、こうやってかつての地形を偲ぶこともお城めぐりの楽しさのひとつだと思います。

 

 

 

 

 


合戦後、戦死者供養の為に建てられた八剣神社内に村木砦の石碑が建っています。

 

 

でもこの神社は、かつての村木砦のほんの南側の一部。

 

 

 

 

 


村木砦の東側。こちらはかつての海で、今でも低くなっています。

 

 

 

 

 


東に広がる畑地。信長公記によると、村木砦の戦いの時、水野信元がこの方向から攻め立てたということです。

 

 

 

 

 

 


現地案内看板にある村木砦の縄張り図。

 

 

これを見ると、現在の八剱神社は村木砦の南方で、北側に大手門や本丸、搦手門や船着き場があった事が分かりますね。

 

 

 

 

 

 


村木神社は、信長が合戦時に本陣を置いた場所。

 

 

村木砦の戦いは織田軍にも戦死者が多く、合戦後、信長が涙を流し、部下の働きや死傷者の事をあれこれ語ったのがこの地です。 

 

 

>>村木神社の地図

 

 

 

 

 


飯喰場 (いくいば)。

 

 

合戦後、信長が将兵の労をねぎらい、戦勝の酒盛りをおこなった場所という事からこの地名が付きました。

 

 

>>飯喰場の地図

 

 

所在地 知多郡東浦町森岡取手30

 

立地 平城

 

築城時期 天文二十二年(1553)頃

 

築城者 今川氏

 

主な城主 松平家忠

 

現状 八剱神社、宅地、畑地

 

地図


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