宮津城 | 弘安の役で活躍した新海氏の居城
愛知県知多郡阿久比町の宮津城址は、蒙古の大軍が北九州に来襲した『弘安の役』(1281)で活躍した新海氏のお城です。別名・柳審城
歴史
菅原道真の後裔を称する新海氏は、この地に領地をもらい、小川氏(緒川水野氏の先祖)と共に統治しました。
しかし時代は流れ戦国の世になると、緒川水野氏が織田氏と同盟を結び、知多半島制圧を開始、最初に標的となったのが、新海氏の宮津城でした。
水野氏の降伏勧告を断り、あくまで戦う道を選んだ新海氏。しかし多勢に無勢、宮津城は落城してしまいました。
感想
阿久比町宮津にある秋葉神社のある山が宮津城と伝わります。お城跡は半分が秋葉神社で、もう半分が公園として整備されていました。
愛知県中世城館跡調査報告W知多地区には、『宮津城は秋葉山全体に削平地が見られるものの、明らかな城館遺構としては、堀切がひとつ残るのみ』という感想が記してあります。
これは当初から防御施設が少なかったのではないかという事ですが、実際に周辺を散策してみると確かにその通りの様な気がしました。
ところで余談ですが、水野氏の攻撃を受けて滅亡した新海氏ですが、実は子孫が残っていたという逸話が地元にあります。
それは徳川家康が『本能寺の変』で三河に逃れる際、無事伊賀越えを果たし、成岩(現・半田市)から、大浜(現・碧南市)へ渡る際の船頭を務めたのが、新海氏の子孫だったそうです。
その時素性を聞いた家康に、これからは『舟橋』と名乗るがよい、と言われて姓を『舟橋』に変えたとか。
なので現在知多半島に住む舟橋さんは、新海氏の子孫という説もあります。
宮津城の近くの道路。かなり細く自動車のすれ違いも難しいくらいです。
おそらく昔(集落時代)からの道路の幅なのでしょう。
愛知県中世城館跡調査報告W 知多地区より
作図者 石川浩治氏
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