中根南城 | 城主は織田信長の弟・織田信照
愛知県名古屋市瑞穂区の中根南城(なかね みなみのしろ)は、この地の豪族である中根氏の居城でしたが、信長の弟である信照の居城でもあります。
歴史
その昔、この周辺には中根北城・中根中城・中根南城という三つのお城があり、これらを総称して中根三城と呼んでいました。
この中根南城は、中根三城の主城ともいえるお城で、城主は織田信長の弟・織田信照。
天文十五年(1546)生まれともいわれる信照は、織田信秀の九男といわれ、この地の豪族だった中根忠貞の養子となり中根姓を名乗っています。ちなみに官名は越中守
あまり記録が残っていな信照ですが、【信長公記】によると、織田信長が京で馬揃えを行った時、織田家一門の中で9番目の行列に名前が記載してある事から、それなりに重要されていたのでしょう。
本能寺の変で信長亡き後は信長の次男・織田信雄に仕え、天正十二年(1584)の小牧・長久手合戦では信雄方として奥城(現在の愛知県一宮市)を守備していましたが秀吉方に捕らえられ助命されました。
またいつ亡くなったのか不明ですが、熱田神宮の神宝の中に『文禄三年(1594) 七月七日 織田越中守』という無名刀の奉納書があるので、文禄三年(1594)までは生きていた様です。
さて、肝心の中根南城ですが、まず現在の地図で中根三城の位置を見てみると、三つの城で三角形を形成しており、その真ん中を鎌倉街道が通る形になっています。
さらに近くを流れる天白川・山崎川の水運も利用可能な地でした。
中根南城の規模は、東西約51m、南北約49mで、ほぼ正方形だったとか。
また北、東、西側に二重の堀があったそうです。
感想
お城跡に建った観音寺は、慶長十年(1605)の創建で、尾張初代藩主・徳川義直ゆかりのお寺です。
そして中根中城の鎮護神として創建された八幡社が西側にありますが、その傍らには樹齢400年とも伝わる黒松の木が当時を偲ばせていましたが、惜しくも伊勢湾台風で枯れてしまいました。
現在では切り倒された根の部分が残るのみです。
平城?と思いきや、少し高台になっている中根南城。八幡社があるところは、曲輪もしくは櫓台の様に思えてなりません。
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