藤原師長屋敷 | 平安時代に藤原師長が住んだといわれる屋敷




藤原師長屋敷 | 平安時代に藤原師長が住んだといわれる屋敷

 

 

愛知県名古屋市瑞穂区の師長屋敷は、平安時代末期に公卿の藤原師長(ふじわらのもろなが)が住んだといわれる場所です。

 

 

 

 

 

歴史

 

平安時代の平家が力を持っていた時、当時太政大臣だった藤原師長は、平清盛の勘気を被り、尾張国のこの地に流されてきたと伝わります。

 

 

名古屋市瑞穂区は、今でこそ開発が進んで便利な場所ですが、平安時代は京の都から遠く離れた辺境の地でした。

 

 

師長は琵琶の名手で、当時の鳴海潟を眺めながら、琵琶を弾じては自らを慰める日々を過ごしていたとか。

 

 

後に帰洛を許された時、師長の身辺の世話をした村長の娘は、悲しみのあまりに土器野里(現・清須市枇杷島町)で、池に身を投じて亡くなってしまったという伝説があります。

 

 

 

 

 

感想

 

藤原師長の屋敷跡と伝わる場所は、現在、稲荷神社が建立されています。

 

 

かつてこの周辺は入り江だったようですが、現在では埋め立てられており、かつての形とはかなり変わったのでしょうね。

 

 

また室町時代末期(戦国時代)の武士の館は、堀や土塁で固めた防御度の高いもので、これが現在、城郭研究で『お城』として研究されていますが、ここにあった藤原師長の屋敷がこれと同じ性格のものかは微妙です。

 

 

しかし師長は位の高い人なので、いくら流刑と言っても1人で尾張にやって来たとは考えにくく、家来、もしくは世話係みたいな人も数人が一緒だったのでは?と思います。

 

 

そう考えてみると、屋敷の規模も現代の感覚より大きかったのでしょうね。

 

 

 

 

 

藤原師長,屋敷,平安時代,尾張

師長はこの地に流された後、出家して『妙音院』(みょうおんいん)と号しました。

 

 

それが現在の『妙音通』のゆらいとなったそうです。

 

 

屋敷跡が残る嶋川神社のすぐそばに名古屋市営地下鉄名城線の妙音通駅がありますが、その名前も師長ゆかりのものなんですね。

 

 

・所在地  瑞穂区土市町1丁目

 

・立地  平城

 

・築城時期  治承三年(1179)

 

・築城者  藤原師長

 

・主な城主  藤原氏

 

・現状  嶋川神社

 

地図


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