城主の名前に福岡新助と森長可の名前が!長久手市の大草城
愛知県長久手市の大草城は、城主に福岡新助と森長可の名前が残るお城です。
歴史
【尾張志】によると、まず城主の名前に福岡新助という人物がありますが、この人がどんな人だったのかは分かっていませんが、ひとつ気になる事があります。
現在の長久手市前熊橋ノ本にある前熊寺は、天文年間(1532〜1555)に創建されたと伝わりますが、その境内に、この地の郷士・福岡太郎右衛門の屋敷があったといわれています。
これが福岡屋敷なのですが、この福岡さんと大草城主の福岡新助が同じ苗字だし、距離的にも近いので、もしかすると何か関係があったのかもしれません。
さて、1563年頃には岩崎城の丹羽氏の所領となり、天正七年(1579)には森武蔵守長可の所領となっています。
しかし長可は天正十二年(1584)年の小牧・長久手合戦で亡くなっており、その後の大草城の記録も途絶えている事から、合戦後に廃城になったと考えられます。
感想
かつての大草城は、長久手市杁ノ洞にある熊野神社の裏山にあります。【尾張志】によると、この地はかつて大草村西之島という場所だったそうです。
標高は103mほどで、周りの平地からは約20mほどの高さにある平山城という感じですね。
城内はいくつ折れた山道がありますが、これがお城に関係するものかはよくわかりません。
また大草城の石碑があり、裏側に簡単に説明書きがありました。
そして気になる点は、この大草城の立地です。
大草城の西側に県道57号線が通っていますが、これは菱野方面に抜けるかつての街道という指摘があります。
そう考えると、大草城は現在の長久手市と瀬戸市方面を結ぶ街道が通る、交通の要所だった事もわかりますね。
大草城のアクセスは、まず永見寺の横にある熊野神社の鳥居に向けて歩きます。そして神社の裏側に大草城があります。
これは周辺の高低差の画像。
私が立っている平地の後ろに、こんもりとした高台があるのが分かりますか?高くなっている部分が大草城です。
大草城内には、この様な山道が折れ曲がって通っています。
城内の遺構なのか?もしくは現在のお百度によるものなのか不明です。
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