東郷町に残る丹羽氏の諸輪北城、諸輪中城、諸輪南城の場所と感想




東郷町に残る丹羽氏の諸輪北城、諸輪中城、諸輪南城の場所と感想

現在の愛知県愛知群東郷町には、岩崎丹羽氏関連のお城が傍示本城のほかに3つ残っています。

 

 

それが諸輪北城、諸輪中城、諸輪南城です。

 

 

この記事では、それら諸輪三城の歴史と現状レビュー、そして私の感想を書いてみました。

 

 

 

 

 

諸輪北城

 

 

歴史

 

天文二十年(1551)の横山合戦(日進市・参照)で、織田信長を破った岩崎城二代目城主・丹羽氏識が隠居後に住んだお城です。

 

 

永禄五年(1562)に、尾張の織田と三河の松平(徳川)の和睦が成立すると、両国の間に立たされていた氏識は隠居し、このお城に移ったと伝わります。

 

 

ちなみに氏識は松平に仕え、岩崎城に入った氏勝は織田に仕えました。

 

 

 

 

 

感想

 

現在の上城保育園がお城跡と伝わります。

 

 

正面入口である西側から見ると、遺構の残っていない平城との印象がありますが、反対の東側に回ってみると5〜6m程の高低差があることにビックリ!!

 

 

しかも前方には、堀跡を想像させる川までありました。

 

 

所在地  東郷町諸輪字上市

 

立地 平城

 

築城時期 ?

 

築城者 丹羽氏識

 

主な城主  丹羽氏

 

現状  東郷町立上城保育園

 

地図

 

 

 

 

 

諸輪中城

 

 

歴史

 

この諸輪中城も丹羽氏識の隠居城と伝わります。

 

 

永禄五年(1562)に『道休』と号し隠居して、このお城を築城したり清安寺を創建しました。

 

 

ちなみに清安寺は現在でもあり、山号の道休山はここから来ています。また氏識の菩提寺として位牌もあります。

 

お城は四方を竹薮・竹林で囲まれ、堀や土塁を巡らせていたとか。

 

 

永禄八年(1565)に、氏識が死去してからは『岩崎城合戦』の悲劇の守将・丹羽氏重が一時居城しました。

 

 

 

 

 

感想

 

現在の清安寺あたりに諸輪中城があったと伝えられます。周辺は平地で現在では住宅地となり、遺構は残っていません。

 

 

所在地  東郷町諸輪字中市

 

立地  平城

 

築城時期  永禄七年(1564)

 

築城者  丹羽氏識

 

主な城主  丹羽氏

 

現状  清安寺

地図

 

 

 

 

 

諸輪南城

 

 

歴史

 

天正十一年(1583)頃、当地の土豪・柘植道昌によって築かれたと伝わります。

 

 

柘植氏は後に真野氏と改名、江戸時代もそのまま諸輪村に住み、庄屋になりました。

 

 

また別の説では柘植氏以前に、岩崎丹羽氏が築いた国境の城ではないかともいわれています。

 

 

さらに諸輪南城のすぐ近くに諸輪下城(もろわ しものしろ)というお城があったそうですが、実は南城と下城は同一であったともいわれており、現在でも謎のお城です。

 

 

 

 

 

感想

 

現在の【尾三消防署】周辺に諸輪南城があったと伝わります。

 

 

消防署の開設は昭和四十七年ですが、昭和三十九年の土地改良までは周囲に3m程の土塁が残っていたとか。

 

 

現在では、消防署以外は見事な田んぼになり、遺構は全く残っていません。

 

 

所在地 東郷町諸輪曙18

 

立地  平城

 

築城時期  天正十一年頃(1583)

 

築城者  柘植道昌

 

主な城主  柘植氏・真野氏

 

現状  尾三消防署

 

地図


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