傍示本城 | 小牧長久手合戦の時に岩崎城で戦った丹羽氏重の居城跡




傍示本城 | 小牧長久手合戦の時に岩崎城で戦った丹羽氏重の居城跡

 

 

愛知県東郷町の傍示本(ほうじもと)城は、小牧長久手合戦の時に岩崎城で戦った丹羽氏重の居城跡です。

 

 

※傍示本の読みは ほうじもと

 

 

 

 

 

歴史

 

築城は鎌倉時代末期の正中元年(1324)頃、北条雅時の家臣・加藤安俊が、この地に来て築城したといわれています。

 

 

ちなみにお城があった地名【傍示】(ほうじ)は、後醍醐天皇の時、国境を示す傍示が建てられた事から、傍示本の地名が付いたそうです。

 

 

それから天文年間(1532〜1555)くらいの時まで、加藤氏の居城でしたが、いつの間にか岩崎丹羽氏にとって代わられました。

 

 

戦国時代の頃は、岩崎城主・丹羽氏次の弟・氏重の居城となり、氏重は天正十二年(1584)年の小牧長久手で、岩崎城を守備して亡くなっています。

 

 

その後、傍示本城には信長から追放されていた父・丹羽氏勝が隠居城として住んでおり、慶長五年(1600)に岩崎城の丹羽本家が伊保城(豊田市)に転封になったので、その時に廃城となりました。

 

 

【尾張志】によると東側は断崖で平地を見下ろし、その他の南、西、北側には堀があったという記載がありました。

 

 

そして幕末の頃には曲輪内の西北の隅に民家が1軒だけあり、他は畑になっていたそうです。

 

 

 

 

感想

 

傍示本城は現在、東郷町春木市場屋敷にある傍示本公民館になっており、公民館前に石碑が建っています。

 

 

お城の遺構らしきものは残っていませんが、東側が崖上になっており、その先が尾張と三河の国境であった境川なので、国境を守備していたお城という事がよく分かります。

 

 

あと周辺には、中屋敷、中通屋敷、北所屋敷といったお城ゆかりの地名があります。

 

 

私の感想ですが石碑、高低差、現在の地名と、これら3つあるので、かつてのお城跡を十分偲ぶ事ができると思いました。

 

 

また日進市、東郷町には岩崎丹羽氏関連のお城跡がたくさん残っているので、勢力の大きさがわかりますね。

 

 

所在地  東郷町大字春木字市場屋敷

 

立地  平城

 

築城時期 正中元年(1324)頃

 

築城者 加藤安俊

 

主な城主 丹羽氏

 

現状 傍示本公民館

 

地図


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