尾張旭市の詳細不明のお城まとめ




尾張旭市の詳細不明のお城まとめ

かつての尾張国である、愛知県尾張旭市の詳細不明のお城跡をまとめてみました!

 

 

渋川城


当地の土豪により築かれたお城と伝わりますが、城主・築城年ともに不明。渋川城の南を流れている天神川の向こうに印場城が有りましたが、印場城より前のお城だったとか。

 

 

現在は駐車場になっている渋川城跡。周辺は住宅地として開発が進み遺構は全くありません。

 

 

地元の人の話では、駐車場に残る一本の大木の周りは十数年前まで少し土盛があったとのことです。

 

 

 

 

 

印場城


城主の名前が坂井弥兵衛ということ以外不明の印場城。印場城址には尾張旭市西部浄化センターが建設されています。

 

 

建設の際に行われた発掘調査では陶器等が発掘されており、十五世紀後半の築城ではないかと推定されています。施設の入口にお城に関する看板が立っています。

 

 

 

 

 

瀬戸川城


文明年間(1469〜1487)に、井田城主であった浅井玄藩允(あさいげんばのじょう)の弟の、浅井源四郎が居城しました。

 

 

昭和五十二年の発掘調査の際、中世の遺物の他に、灯明皿、香炉、御深焼き等の近世の遺物も発見されているので、城として使われなくなってからも、人が住んでいたと考えられています。

 

 

尾張旭市立三郷小学校の西門の前に、瀬戸川城の石碑と案内板が立っています。井田城と同じく、ここも周辺は住宅街になっているので、遺構は残っていませんでした。


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