尾張旭市井田町にあった井田城と井田東城の歴史と城主そして私の感想
井田城と井田東城(いだとうじょう)は、現在の尾張旭市井田町にあったといわれるお城です。
歴史
井田八幡社の社伝によれば、明徳年間(1390〜93)に浅井玄蕃(げんば)が居城したそうです。
また【古城主覚書】という資料には井田城主について、浅井源四郎、浅井与九郎、後に林三郎兵衛正俊という記録があります。
南北朝時代末〜戦国期にかけては浅井氏が居城し、戦国期には林氏が居城したのでしょう。
浅井氏に関しては詳細が不明なんですが、戦国期に城主として名前が残る林正俊は、菱野城(瀬戸市羽根町)の城主です。
私の感想というか仮説ですが、もしかすると浅井氏は林氏に滅ぼされたのかもしれませんね。
ちなみに林正俊は、織田信長が品野城(瀬戸市上品野町)を攻めた時の戦死者を祭った久龍庵を建立した人物でもあります。
この井田城は現在の尾張旭市井田町4丁目の八反田公園周辺にありました。
そして【張州雑志】という資料には、『井田に三城あり』という記載があります。
城郭研究家の笹山忠氏は、この井田三城について、『ひとつは瀬戸川城の事で、残る2城は井田村にあった』と指摘しています。
そう考えてみると、現在の井田町にもうひとつのお城、井田東城があったみたいですが、場所や城主などの詳細は不明です。
感想
かつての井田城は、現在の井田4丁目の八反田公園周辺がその場所でした。
昭和53年に発掘調査が行われましたが、その時確認されたのが、井田城の規模は東西約66m、南北約67mで、本丸跡や土塁跡、堀跡などがあったそうです。
また出土した遺物から、室町時代以降の土豪の居館だったではないかと推定されています。
現在では公園として整備され、片隅に石碑が建っているだけでした。
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