小桜屋敷 | 室町時代に三浦安房と小桜が駆け落ちして住んだ屋敷跡
かつての三河国である愛知県西尾市の小桜屋敷跡は、室町時代に三浦安房と小桜が駆け落ちして住んだ屋敷跡です。別名・三ノ沢屋敷。
歴史
現地案内板によると、室町幕府十四代将軍・足利義澄に使えていた『三浦安房』が、女官・『小桜』と恋仲になり、駆け落ちして住んだ屋敷。
二人は京から落ち延び、幡豆城の家老・大獄氏を頼って幡豆に来ました。
二人に同情した大獄氏は城主・小笠原安芸守と相談し、山奥であるこの地に二人を住まわせました。
二人は畑を耕し、三人の子に恵まれ、幸せに暮らしていましたが、ある日『小桜』が病に倒れました。
病が重くなったある日、『小桜』は夫の安房を枕元に呼んで、自分が小野篁という平安時代の漢学者の子孫であることを告げました。
そして自分の死後は小野家が絶えてしまうので、次男に『小野姓』を名乗らせてくれるよう頼んで息を引き取りました。
安房は小桜の望みどおり、次男に『小野姓』を名乗らせ、長男には『三浦姓』を名乗らせました。そして小野氏は幸田町に、三浦氏は西尾市に今日まで家系が続いているとの事です。
感想
【小桜屋敷】は途中までハイキングコ−スになっており、石碑の案内板もあるので、山奥ですが何とか来る事ができるでしょう。
途中から車ではかなり厳しい山道になるので、無理をせずに歩いたほうが賢明なくらいの山道です。
さて、現地には石垣と幡豆町が建てた看板がありますが、『小桜』達がこの地にやってきたのは【天正7年(1510)】とありますが、これは1510年は永正7年なので天正ではありません。
そして肝心の屋敷跡ですが、【愛知県中世城館跡調査報告U西三河地区】は『小堂の跡が伝説に結び付けられたものか』とバッサリ!
確かに家族5人で住んだ屋敷跡としては狭すぎる様な気がします。
でも『小桜』の伝説を偲んでみると、何とも言えない気持ちになりますよね。
ところでここで大事なチェックポイントは、この昔話レベルの屋敷跡も城郭研究ではお城跡として調べられているという点。そう考えてみるとこの世界も幅広いですね。
愛知県中世城館跡調査報告U西三河地区より
作図者 石川浩治 氏
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