饗庭城 | 松平氏に滅ぼされた石川妙鶴丸の居城跡
西尾市吉良町の饗庭(あいば)城跡は、松平氏に滅ぼされた石川妙鶴丸の居城跡です。
※饗庭の読みは あいば
歴史
もともと饗庭の地は石川妙鶴丸という人の所領でした。
この人は永徳三年(1383)、後小松院の院宣によりこの地にやってきて、新田開発に力を入れ所領を治めていました。
しかし当時の新興勢力・安祥城(安城市)の松平氏がどうも嫌いだったらしく、『打倒松平氏』を掲げ、松平氏を滅ぼそうとしますが、反撃に遭い逆に滅ぼされてしまいました。
その後、饗庭城は松平氏のものとなり、松井忠直(金四郎)に与えられました。この人は松井忠次の父です。
感想
さて、饗庭城の歴史を調べていて、私の感想というか疑問がひとつ浮かびました。それは松井氏についてです。
松井氏は当初吉良氏の家臣として文献に出てきます。なぜ松平氏からお城を貰ったのでしょう?
この事について後の江戸時代、新井白石は著書・藩翰譜(はんかんふ)で、松井氏は吉良氏の家人であったいう見解を示しています。
松井忠次(康親)の出身地の小山田村(吉良町大字小山田)が東条吉良氏領であったことからも、この忠次の実家が初期には東条吉良氏の属臣(家来ではない)であったと推定されますよね。
つまり、松平氏の家臣ではなかったのですが、吉良氏の家臣でもなかった。『どっちつかずの地元の豪族』といった感じでしょうか?
という事で肝心のお城ですが、比高・20mの平山城です。遺構は曲輪の様な削平地が続いており、堀・土塁の様なものは見当たりませんでした。
ちなみに同じ吉良町内にある、国宝金蓮寺に饗庭城について記載がある看板があります。
これによると、金蓮寺の名水が饗庭城主の茶の湯に使用されたとあります。
これが石川妙鶴丸なのか、それとも松井氏なのかわかりませんが、饗庭城主が茶の湯をたしなむ人だった事が分かりますね。
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